ロシアンルーレットへの参加要請 [雑感]

原発推進勢力にしてみれば、「多少の犠牲」「多少のガン」「多少の健康被害」と言うのは、原子力政策を開始した時点からすでに受け入れ済みのことなんだ。

もし仮に、数ベクレルの放射性物質で「全員」急性白血病になるような毒物だったら、原子力発電になんて誰も手を出さなかっただろう。

ところが、その影響が「確率的」で、病気も「晩発性」だったから、

「ああ、これなら事故起きて放射能漏れても、『多少』の被害はごまかせるだろう。よし、それならベネフィットはリスクを上回るから、やっちゃいましょう、原子力」

という話になった。

そして、この「多少」が意味する具体的な数字はどうにでも操作できるし、暫定基準値みたいに上げたり下げたりできる。

年間被ばく限度を20mSvにしようが、強制移住区域が10km圏内だろうが20km圏内だろうが、全てこの「多少のリスク」に収まってしまう。

ではその「多少の被害」が、もう有無を言わさぬ「甚大な被害」、推進派が「ごめんなさい!もう二度とこんなことしません!」と頭を垂れて「全原発廃炉」を即決せざるを得ないような、その境界線はどの辺りなのか?

もちろん、普通に考えると、4基の原発爆発させて、東日本全体を放射能汚染して、強制移住区域を作り出したのだから、

「ああ、もう終わりだ。こんな事故もうごめんだ。原発やめよう」

と誰もが思ったはずだ。そして、

「きっと東電、政府だって、謝罪・反省して、脱原発に舵を切らざるを得ない」

と予想しただろう。

ところが、事態は違った。

もう全く逆で、

「ああ、良かった、良かった。一瞬日本ぶっ潰れるかと思ったけど、神風吹いたおかげで、福島原発事故たいしたことなかった。ラッキー、ラッキー。よし、これなら計画通りごまかせるぞ。放射能ももう気にしなくていいからバンバン食って、がれきガンガン燃やして、バラエティ番組見て笑って、今までと同じ浪費生活を続けて、経済回せば、俺らの取り分も減らさなくて済むし、下々には今まで通りおこぼれもバラまける。まあ、だんだん格差も広がるけど、その時は貧乏人から切り捨てて、いざとなったら海外に高飛びすればいい。さあ、もうフクシマのことは忘れて、次の事故が起きたら、その時はその時。深く考えずにこの素晴らしい日本の『豊かな』生活を謳歌しよう」

と来た。

放射能の恐ろしさ、チェルノブイリで何が起きて、何が隠蔽されてきたか知っている人たちは面食らう。

「ええー!!これがたいしたことないって、これ以上どれだけ壊滅的なことが起きれば、『大変なことになる』の? もう十分『人類史上最悪』の事故でしょう? このまま行ったら健康被害出るに決まってるでしょう?」

ところが、そんなチェルノブイリがどうこうなんて知らない人は、

「何だ、じゃあ良かった。日本は救われたんだ。よし、もうくよくよしててもしょうがない。放射能なんてたいしたことないんでしょう? ガレキ焼却で万が一被ばくしたって0.01ミリシーベルトとか自然放射線と変わらないし、世界にはもっと高線量地域があって、そこの人たちがみんなガンになってるわけじゃないんでしょう? 食品の基準だって偉い先生がちゃんと考えて決めてるんだろうし、内部被ばくだって、カリウムで普通にしてるし、そこにセシウム入ったってすぐ排泄されるし、被ばく量だって、0.001マイクロシーベルトとか、全然気にしなくていいんでしょう? そんなリスク気にしてたら飛行機にも乗れないし、道路にも出れないよ」

と「国が言っていること」を後ろ盾にして、意気揚々とまくし立て、あげくの果てに、放射能の危険を訴える人たちや避難した人たちを、「放射脳」「放射能こわいこわい病」「自分だけ助かりたいのか」「非国民」「日本から出て行け」と罵倒する。

すると、放射能危険派は思う。

「あと5年後に大変なことが起きる」

、、、まあ「大変なこと」は起きるだろう。

しかし、それを人々は「大変なこと」と認識するだろうか?

原発爆発しても「たいしたことない」と認識しているような人たちが、「病気ごとき」で「大変だ!」と思うだろうか?

僕は、ずっと言ってるんだけど、今これだけの「最悪の状況」で、「たいしたことない」なんて考えて普通に生活してる人が9割方いる世界が、5年後に病人が増えて変わるかと言うと、変わらないと思う。

単純な話だ。

だって、「今までの数百倍、数千倍、数万倍の放射能汚染」が、現に今起きてるのに、「たいしたことない」って判断してる人たちだ。

それが5年後に、「ガン患者数が2倍になった」「心疾患が3倍に増えた」と「データ」が出たところで、誰が「放射能の影響」なんて考えるだろうか?

そんな人たちでさえも、

「ああ!もう日本は終わりだ!もっと放射能被害をきちんと認識しておけばよかった!」

なんて反省するような事態というのは、

「日本人の6割が病気になる」とか「過半数がガン死する」とか「子どもの9割が不健康になる」とか、それこそベラルーシやウクライナの高汚染地域「以上」の、隠し通すことができないほど「とんでもない被害」が出た時だろう。

つまり「限りなく『全員死ぬ』」「限りなく『全員病気になる』」とか言う、およそ考えられない「日本壊滅状態」にならない限り、被害はいつまでも「ほとんどない」ということになる。

(だから、次の原子力事故が起きた時に、『福島と同程度のレベル7』の事故であれば、また『たいしたことない』と繰り返すだろう。『ああ、もうだめだ!』と反省する時は、直下型地震で制御棒が入らずに、臨界中の原子炉そのものが爆発して、『日本が終わる時』『北半球が終わる時』ということになるだろう。それまでは、この『賭け』を続けるだろう)

僕は、何度も繰り返してるけど、今回の福島原発事故の爆発規模自体はチェルノブイリほどではなかったと思う。

だけど、チェルノブイリと比較するなんてもう本当にどうでもいい話で、例えば日本の航空会社が「100人犠牲になった飛行機事故」を起こした時に、「あのロシアの事故では200人死んだから、被害は『2分の1』だ。良かった良かった」と言うようなものだ。

そんなの良いも悪いもないだろう。

そうやって「たいしたことない」と言って避難もさせず、汚染食品もガレキもバラまいているうちに、いつの間にかチェルノブイリと同等の健康被害が出るだろう。

何よりも、爆発がどこで起きて、炉心や燃料プールからα線β線核種がどれぐらい拡散してるのか、全く分からない。

結局、チェルノブイリでさえ25年経っても健康被害が「国際的に」過小評価されてるのだから、福島でも嬉々として「何も起きなかった」とやるだろう。

数年後に早々と、必ず、「健康被害はなかった」と宣言するはずだ。

ちょうど今回の「事故収束宣言」みたいに。

そして、その宣言の後に、数百人か、数万人か、あるいは数百万人か分からないが、健康被害に見舞われる人は、「絶対に」出るだろう。

もう何度も繰り返しているが、これは断言できるし、「何も起きない」と言っている学者は一部のホルミシス学者を除いて全くいない。

注意深く聞けば、政府だって御用学者だって、程度の差はあれ、被害は「絶対に」出ると暗に認めている。

「逃げられる人は逃げて下さい。汚染食品避けられる余裕のある人は食べないで下さい。それ以外の貧乏人は食うしかないので、我慢して食って下さい。被ばくしても死ぬのは10万人に1人ですから、気にしないで働いて、日本国民として日本の経済を回して下さい」

と言っているだけだ。

そうやってこれから出る「晩発性障害」は、社会経済システムを運営するための「やむを得ない犠牲」として黙殺し、あれこれ理由をくっ付けて、病人は「放射能とは関係ない」と切り捨てられるだろうし、その下準備に国は事故直後から全精力を傾けている。

そして、たぶん、それはうまく行くだろう。

簡単なことだ。極端な話、国民の4割が病気になっても、残り6割の「元気な人」に、政府が「病気は放射能とは関係ない。日本はまだまだ大丈夫だ」と言えば、それで「大丈夫」ということになる。

「いやいや、そんなことないでしょう。病人の数が激増したら、変わるでしょう」

そう思うだろうか? では何をもって「激増」と言うのか。2割増しか? 3割増か?

どこまでが「大丈夫」で、どこからが「大丈夫じゃない」のだろうか?

今現在、どこまでが汚染地帯で、どこからが非汚染地帯なのだろうか?

どこまでが安全食品のベクレル数で、どこからが低線量被ばくの危険性があるのか?

だれも確定できないし、誰もが何となく「大丈夫」と思って普通に生活してるじゃないか。

ただ「国が発表した数値」や「ネットから集めた情報」でもって、各々が「大丈夫」と言い切っているだけではないか。

だから、これと同じことが、将来の病気においても起きるのだ。

ある人は「放射能だ」と騒ぎ立てて、他の人は「関係ない」と言い、そして国は「絶対に放射能のせいではない」と断言するだろう。

つまり、放射能が原因で病気になったとしても、発病したが最後、その時は、それが自分だろうが子どもだろうが、孤独にその病いと闘うしかない。

その「犠牲」を「しょうがない」と国が認め、国民も「お上の言うことだから」と鵜呑みにすれば、今の原発対応、事故評価、放射能被害、責任問題、全ては原発推進勢力に都合の良いように処理され、報道されて行く。

こういう何もかも確率論的に、統計的に、「リスクとベネフィットを鑑みて」思考することが、社会を維持するためには必要で、原発でも戦争でも資本主義の「必要悪」を容認できる「分別」を持っているのが「大人」で、そのシステムに逆らう「利己的な」人間は、日本国という契約社会に参加する資格を持たないのだから、とっととこの「村」から出ていってくれ、というのが、今の日本政府や地方自治体の本音だろう。

放射能被害の「真実」は、この「確率論」をどう捉えるかで、全く変わってしまう。

誰もが「自分は病気にならない」と根拠もなく信じて、病気になるマイノリティーは見ないようにして、病気にならない限りはその幸せを謳歌する。

全員死ぬ訳じゃないというのがその「肝」だ、と何度も繰り返して言ってきたけど、その「肝」に対してどう反応するか?で全てが決まってしまう。

本当は、「津波てんでんこ」と一緒で、全員が主体的に判断して、各々が責任を持って行動すれば、「全員助かる」可能性だって残されている。

しかし、主体的に判断しようにも「核」なんて恐ろしく複雑な技術が引き起こした原発事故を、一般市民が「科学的に解明する」とか、低線量内部被ばくの長期的影響を「疫学的に証明する」とか、「文句あるなら自分でやってみろ」とか、できるはずがないだろう。

できるはずがないから、「シロウトは黙って権力お抱えの『専門家』の言っていること、お上の『政治的判断』に従え」と言うのが、政府とそのおこぼれに与ろうとする国民の言い分だ。

いや、ガンダーセンやバンダジェフスキーや小出氏の、3号機の即発臨界やチェルノブイリの内部被ばく調査や原子力政策の差別問題の「データ」や「解析」は山ほどあるのだ。

ところがそれらの反対意見は「科学的に不十分」と一蹴される。

そしてICRPやIAEAや国家が認めたものは「科学的に証明されている」となる。

福島原発事故の重大さを認める分析は「煽り」「危険デマ」と罵られ、楽観的安全論は「正しい情報」として大手メディアを通じて無批判に拡散される。

ここには「科学」も「客観」もない。

「国家」や「国際機関」と言った「お上」が認めた「判例」があるだけだ。

「科学」であるなら、「証明できないから安全だ」とか「自然放射線と同じだから心配ない」とか余計な判断を付け加えないで、全てありのままに公表すればいいだけだし、「客観性」を言うなら、安全説も危険説も、その双方を公平に開示して、「みなさんどう思われますか?」と問えばいいだろう。

しかし、それをやったら誰だって「放射能恐ろしい」となるし、原発なんて動かしたくないと思うはずだ。

原発事故収束や再稼働どころじゃなくなるし、ガレキ受け入れなんて誰もやらないはずだ。

それどころか、原発立地で原子力の危険性とその見返りとしての交付金についてありのままに話せば、地元の誰も受け入れなかっただろう。

だから原子力は最初から嘘を付いてきたわけだし、未だに使用済み燃料プールの核爆発と燃料棒の飛散問題なんて絶対に取り上げないし、α線核種も計測しないのも、嘘を付き続けなければ、原子力が全否定されるのは目に見えているからだ。

その代わり、ガレキの「空間線量」をサーベイメーターで市民に計測させて、「ほら、汚染されてないだろう」なんてやって、それで「客観的に証明された」とごまかすことができると思っている。

一体どんな「科学」なんだ?

そう問うと、今度は「被災地を救うため」と感情論に訴える。

最後は石原みたいに逆切れして「黙れ。従え」と来る。

もう身も蓋もなく支離滅裂なのだが、その必死さが、逆にこの国がもしかして救いようのない瀕死状態に向かっているのではないか?という一抹の不安を引き起こす。

この原発事故の「真実」があるとすれば、

「いつ、誰に、どんな健康被害が出るか分からない」

という、その一点だろう。

付け加えるなら、

「放射能は子どもの健康にもっとも影響を与える」

ということだろう。

(確率論と言えば聞こえはいいが、誰もが等しくある程度の『可能性』を持つという意味では、無理矢理全員がそのロシアンルーレットに参加させられる)

だから当然「みんなが不安になる」のだ。

国は、その不安がまるで「風評」であるかのように言う。

これも奇妙な言い方だ。

交通事故のリスクで言うなら、「道路に出なければ」車に轢かれる可能性なんてないだろう。

それが今日本人の半分が「道路に放り出された」ような状態だろう。

そんな無用の「リスク」を人々に負わせるような事故を一企業が起こせば、その不安は「精神的苦痛」として認識されて訴えられるだろう。

ところが、こと放射能に関しては「この先どうなるか分からない不安」を生じさせているにもかかわらず、なぜか頭ごなしに「風評」として切り捨ててしまう。

「不確定的な不安」を作り出した原発事故そのものの責任問題は追求することなしに、ただ「気にするあなたが悪い」「放射能被害は風評」と決めつけてくる。

本当に何もなければ、

「何もありません。100%安全です」

と言えばいい。

「風評」などと言う必要ないだろう。

ところが、やはり「何か」ある。

きっと「何か」が起きるし、そのリスクを取り除くことは不可能だ。

放射能とはそういうものなのだ。

それは国も認めている。

だから「絶対に漏れてはいけなかった」

ところが、そのどうしようもないものが、日本中にバラまかれて、さすがに「全く何もありません」と言ったら嘘になるから、その嘘を「ぼやかす」ために、様々な言葉がひねり出される。

「ただちに影響はない」「健康被害が出るとは考えにくい」

「風評」もその1つだ。

こういう「言葉遊び」に真実が表れてしまう。

風のうわさでも何でも、得体の知れない不安が漂っているし、その不安を漂わせる放射能がバラまかれた事実は認めざるを得ない。

その「いつ、誰に、何が起きるか分からない不安」を根源的に取り除くことなど不可能だから、「風評だ。気にするな」と言うことで、「我慢させる」ことしかできない。

そして「ごまかしてる」と悟られないために、今度は「まったく問題ないという空気」を作り出す必要が出てくる。

極めて「広告的」な手法によって、ガレキが利用される。(実際某大手広告代理店が対策チームに入っているだろう)

「気にするな。気にしてないことを証明するために、全員ロシアンルーレットに参加せよ」という通達が、その空気に忍び込む。

「頭のいい」日本国民が得意げに「空気を読む」。

だから、「ガレキ受け入れを国家が要請する」という、一連の不可解な「玉砕」的行動は、放射能拡散も含めて、瀕死の国家のために、国民として命を捧げてくれ、という暗黙の命令なのだ。

原子力を推進して来た巨大な力がいよいよ身も蓋もなく首をもたげて来た恐ろしさを感じる。

そんな根源的「暴力」が、娯楽番組の合間のCMスポットみたいにテレビから流れる。薄っぺらい「助け合い」のイメージが頭にこびりついて、「テレビはみんなが見ているから」というただその理由で、まるで流行の思想か政治行動であるかのように脳内でその印象が醸成して、「絆」みたいに軽々しい言葉と共に拡散して行く。

21世紀にまさか全体主義と思うが、たぶん100年前にも同じことが起きたんだ。

だから、次の避難は、放射能からではなく、この絶望的な国家から、という意味で、ほとんど亡命に近いのではないかと思う。(もちろん象徴的な意味でだが)

それが、恐ろしく悲しく、辛く感じられる原因だと思う。

そして、世界中の「国家」という集団のあり方に、個の力では太刀打ち出来ないような、得体の知れない不安を感じてしまう。

それでも、どこかに希望があるとすれば、それは僕らの子どもに対してであり、それから後の世代に対してだと思う。

だから、今自分たちの幸せよりも、これから先の世代に対して何を為すべきか?ということだけが、今この瞬間の行動指針になる。

あまりにも壮大で、俺ごときにそんな大それた、、、という気持ちにもなる。

しかし、思い直す。

これは今すぐ何かが証明されることではない。証明されるとすれば、僕が消えて、もう何百年か後の話だ。

そのために人は言葉を使い、伝達し、世界を変えてきたんじゃないか。

そういう時間の流れの中で、本当に価値のあるものに自分の全存在を賭けること。

人生の価値、、、。

自分にとって、それは何だろう?

子どもが笑い転げる姿とか、子どもなりに全存在をかけて努力している姿とか、そんな極めて些細で私的な出来事に、「永遠」を見出すことだろう。

きっと、数え切れないほど多くの人間が、気の遠くなるような長い時間の中で、同じ経験を繰り返して来たはずだ、と。

生まれたばかりの赤ん坊の「目」を覗き込んだことがあるだろうか?

初めて光を捉えた、吸い込まれるように深い漆黒の結晶。

「もし眼が太陽のようでなかったら、どうしてわれわれは光を見ることが出来るだろうか」(ゲーテ)

その「宇宙」を人は見たし、これからも見るだろう。

その価値。

僕にとっては、それが「哲学」と呼ばれるものなのだけど、母親にとってみれば、まったく馬鹿げたぐらい単純な、子どもを思う気持ちでしかないのかもしれない。

何の事はない。

当たり前のことを、当たり前に考えるだけだ、、、。





nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

Ninja

大変興味深く読ませていただきました。私の言いたいことをかなり言っていただいていると思います。ロシアルーレットという事がよく分かりませんが、文脈から政府のいうなりになれと受け取れましたが、まさか?!
福島原発事故の現状を考えると、未来への希望が無くなります。
私はもうすぐ死ぬ身ですが、福島4号炉が倒壊して放射能がばらまかれたら日本も世界も終わりです。「子どもや次の世界に未来を託す」希望も消えてしまいます。政府は「4号炉が危ない」と言っていないからまだしばらくは大丈夫でしょうが、大地震が来なくとも早晩、その危険はやってきます。Ⅰ年後、2年後などと悠長なことを言わずに、即刻燃料貯蔵の階まで埋め立ててほしいものです。日本の技術でできないはずはありません。未来に希望を託すのは、放射能の拡散を防いでからです。
by Ninja (2012-06-12 11:51) 

colin

分からないのは、ロシアンルーレットの意味でしょうか? それとも「病気になるかならないかなんて分からないんだから、放射能汚染など気にしないで、日本国民としてロシアンルーレットに参加しなさい」と「国が命令している」、その「例え」が分からない、ということでしょうか?

僕はその「命令」があると考えています。もちろん「絆」とか「復興」とかの名のもとに、知らず知らずに国民に受け入れさせるわけですが。

4号機も心配ですね。

でも、事が起きたらもう為す術がないでしょう。正直それだけは起きて欲しくありません。
by colin (2012-06-13 20:33) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。