ハードルを下げない人 [雑感]
「ニート」の人が書いた「ニート脱出マニュアル」みたいな本についての記事が面白かった。
いわく「ニート」の人は「ハードルを下げない」らしい。
それはちょうど受験に失敗すればするほど志望校のレベルを「下げられなくなる」のに似ていると言う。
陸上競技や体育の授業でもし「高跳び」をやったとして、1mが飛べなかったら普通バーの高さを「90cmに下げる」のに、「ニート」の人は「1m50cmに上げる」のだと言う。
しかも「ダメなときほどハードルを上げたくなる」らしい。
これは目的が「ハードルを超える」ことではなくなってしまって、「ハードルを超えられない理由を作ること」にずれてしまっているのだと思う。
こういうことはよくある。挑戦する前から「言い訳」を探してしまう自己保存の心理だ。
それから「自分以外にネガティブなのに自分のことだけポジティブでいるのは無理」という話。
これは「悪口」を言ったり「批判」ばかりしていると、いつか自分に返って来て罰が当たるとかそういう話ではない。
「欠点探し」が癖になってしまい、やがて「自分に対しても欠点探しばかりする」ようになるのだと言う。
チャンスが巡って来てもまず「ピンチ要素」を見つけ出そうとしてしまう。
もし自分に「チャンス」がやってきたら、僕の場合であればきっとほとんど「そのことだけ」を考えて、とにかくその「チャンス」を確実に自分の元にたぐり寄せるまで絶対諦めないようにするだろう。「ピンチになったらどうしよう?」という不安はむしろ積極的に考えないようにする。なぜなら「ダメな時はダメ」と思ってるからだ。
だからこの「ネガティブ要素を探す」という思考法は、「ネガティブを取り除いて『何がなんでも』目標を達成しよう」というポジティブな意志の表れではないんだと思う。
「どうせ失敗するからその時のうまい言い訳を今から見つけ出しておこう」と物事に取りかかる以前にすでに「後ろ向き」になっているのだから、さっきのハードルと一緒で目前に迫る問題など片付けられるはずがないだろう。
しかもニートは「考え方」を変えようとしても無理らしい。だから「言葉を信じてなくても『大丈夫』と繰り返し言うようにする」のだそうだ。
これは僕にとっては驚きだと思う。「心で思ってなくても大丈夫と自分に言い聞かせる」なんて言ってみればスポーツの試合や試験の前に「手の平に人と三回書いて飲み込む」のと同じで、「迷信だけど意外に効果がある自己暗示」みたいなもので普通にみんなやってることじゃないか?
つまりニートの人って言うのは「心=真実」で「言葉=真実の写し」みたいに「別々に」考えてるんだと思う。
しかし「不安が真実」で「やる気を出すための言葉が嘘」なんて感じるなら、誰だってプレッシャーに押しつぶされてしまうと思う。
心の中に不安が広がりそうになる時に「不安だ、、、」と言わずに「大丈夫!」と自分に繰り返し言い聞かせるって、、、
まったく「普通」のことじゃないか?
面白いと思うのは、そこでこのニートの人が「考え方は変えられないけど言葉は変えられる」と言っている点だ。
僕に言わせれば「いや、、、『言葉を変えること=考え方を変えること』だし、なんでそれがバラバラに感じられる?」という感じだ。
「大丈夫!」と言い聞かせる自分=嘘の言葉
「不安だ、、、」と引きこもろうとする自分=本当の心
こんな風に自分が分裂してたらそれは「本当の心」を選んで「不安」の中にこそ自分の居場所を見つけてしまうだろう。
「大丈夫!」と言い聞かせる自分が「嘘まみれ」で「偽物」と感じられるってある種の自己乖離状態で端的に「鬱」だと思う。
だから言葉で強烈に「宣言」をしないと自己同一性が失われてしまう、、、。
そこで「謙虚にならないように心がける」らしい。
これのおかしかったのは「謙虚」であろうとすると挑戦回数が減るそうだ。だから失敗も減るのだが当然成功も減ってしまう。
図々しくチャレンジする人は失敗も多く成功も多い。
これは面白い比較だと思う。
例えば謙虚で思慮深く慎重に行動する人が10回挑戦して2回しか失敗せず「80%の成功率だ」と安堵する。
全く無計画で尊大で大胆に100回挑戦する人が50回失敗して50回成功して「成功率は50%」だと嘆く。
だけどちょっと待てよ。8回しか成功してない人間と50回成功してる人間、どちらが「前に進んでる」?
100回チャレンジして10回しか成功しなくたって、10回挑戦して8回成功したと豪語するやつよりも2回も多く成功してるじゃないか!
こうやって強引に着眼点を変えることも時には必要だと思う。
いわく「ニート」の人は「ハードルを下げない」らしい。
それはちょうど受験に失敗すればするほど志望校のレベルを「下げられなくなる」のに似ていると言う。
陸上競技や体育の授業でもし「高跳び」をやったとして、1mが飛べなかったら普通バーの高さを「90cmに下げる」のに、「ニート」の人は「1m50cmに上げる」のだと言う。
しかも「ダメなときほどハードルを上げたくなる」らしい。
これは目的が「ハードルを超える」ことではなくなってしまって、「ハードルを超えられない理由を作ること」にずれてしまっているのだと思う。
こういうことはよくある。挑戦する前から「言い訳」を探してしまう自己保存の心理だ。
それから「自分以外にネガティブなのに自分のことだけポジティブでいるのは無理」という話。
これは「悪口」を言ったり「批判」ばかりしていると、いつか自分に返って来て罰が当たるとかそういう話ではない。
「欠点探し」が癖になってしまい、やがて「自分に対しても欠点探しばかりする」ようになるのだと言う。
チャンスが巡って来てもまず「ピンチ要素」を見つけ出そうとしてしまう。
もし自分に「チャンス」がやってきたら、僕の場合であればきっとほとんど「そのことだけ」を考えて、とにかくその「チャンス」を確実に自分の元にたぐり寄せるまで絶対諦めないようにするだろう。「ピンチになったらどうしよう?」という不安はむしろ積極的に考えないようにする。なぜなら「ダメな時はダメ」と思ってるからだ。
だからこの「ネガティブ要素を探す」という思考法は、「ネガティブを取り除いて『何がなんでも』目標を達成しよう」というポジティブな意志の表れではないんだと思う。
「どうせ失敗するからその時のうまい言い訳を今から見つけ出しておこう」と物事に取りかかる以前にすでに「後ろ向き」になっているのだから、さっきのハードルと一緒で目前に迫る問題など片付けられるはずがないだろう。
しかもニートは「考え方」を変えようとしても無理らしい。だから「言葉を信じてなくても『大丈夫』と繰り返し言うようにする」のだそうだ。
これは僕にとっては驚きだと思う。「心で思ってなくても大丈夫と自分に言い聞かせる」なんて言ってみればスポーツの試合や試験の前に「手の平に人と三回書いて飲み込む」のと同じで、「迷信だけど意外に効果がある自己暗示」みたいなもので普通にみんなやってることじゃないか?
つまりニートの人って言うのは「心=真実」で「言葉=真実の写し」みたいに「別々に」考えてるんだと思う。
しかし「不安が真実」で「やる気を出すための言葉が嘘」なんて感じるなら、誰だってプレッシャーに押しつぶされてしまうと思う。
心の中に不安が広がりそうになる時に「不安だ、、、」と言わずに「大丈夫!」と自分に繰り返し言い聞かせるって、、、
まったく「普通」のことじゃないか?
面白いと思うのは、そこでこのニートの人が「考え方は変えられないけど言葉は変えられる」と言っている点だ。
僕に言わせれば「いや、、、『言葉を変えること=考え方を変えること』だし、なんでそれがバラバラに感じられる?」という感じだ。
「大丈夫!」と言い聞かせる自分=嘘の言葉
「不安だ、、、」と引きこもろうとする自分=本当の心
こんな風に自分が分裂してたらそれは「本当の心」を選んで「不安」の中にこそ自分の居場所を見つけてしまうだろう。
「大丈夫!」と言い聞かせる自分が「嘘まみれ」で「偽物」と感じられるってある種の自己乖離状態で端的に「鬱」だと思う。
だから言葉で強烈に「宣言」をしないと自己同一性が失われてしまう、、、。
そこで「謙虚にならないように心がける」らしい。
これのおかしかったのは「謙虚」であろうとすると挑戦回数が減るそうだ。だから失敗も減るのだが当然成功も減ってしまう。
図々しくチャレンジする人は失敗も多く成功も多い。
これは面白い比較だと思う。
例えば謙虚で思慮深く慎重に行動する人が10回挑戦して2回しか失敗せず「80%の成功率だ」と安堵する。
全く無計画で尊大で大胆に100回挑戦する人が50回失敗して50回成功して「成功率は50%」だと嘆く。
だけどちょっと待てよ。8回しか成功してない人間と50回成功してる人間、どちらが「前に進んでる」?
100回チャレンジして10回しか成功しなくたって、10回挑戦して8回成功したと豪語するやつよりも2回も多く成功してるじゃないか!
こうやって強引に着眼点を変えることも時には必要だと思う。
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