買い食いする子どもたち [雑感]

道を歩いていると、たくさんの子どもがお菓子かじったり、ジュース飲んだりしている。

中学生とか高校生が学校帰りにファストフードでポテト食べてシェイク飲むとか、ごく普通のことなのだろう。

そういうのって「若者らしい」ことなのだろうか?

たしかに、自分が高校生の時だって、似たようなことしてたし、親に何か言われることもなく、小遣いやバイト代の範囲で、好き勝手飲み食いできるのだから、「自由」だと思っていた。

しかし、それもまた「市場」であることは確かで、ファストフード業界だって、そういう年齢層をターゲットにマーケティングして、広告作ったり商品開発したりしてるだろう。

そして、その戦略に乗っかって、買ったり飲んだり食ったりして、「青春」を謳歌してるわけだから、ある意味、「青春」もすでにマーケティングに組み込まれてるってことだ。

そして、いくら高校生が半分大人って言ったって、人工甘味料や化学調味料や、遺伝子組み換え飼料やホルモン剤で育った牛肉や、そんなことあまり意識することもなく、食べてるのが大半だろう。

つまり、そういう部分で「無防備」だ。

その無防備さもまた、「若い」ってことで、大目に見られるのかもしれないが、

今回の放射能汚染で、真っ先に狙われるのは、産地不明の食材を使う外食産業なわけで、そうなると、その若者の自由な飲み食いを野放しにしていいのだろうか?と思う。

学校の年間被ばく量20mSvにしても、こういう「買い食い」の汚染にしても、何だか、若い人から内部被ばくしていくような気がする。

それを、「経済」のためと称して、「だいじょうぶだ」と周りの大人まで思ってる。

少しは考えた方がいいと思うが、それだけ年寄りよりも、子どもの方が「長期間被ばくする」ということだ。

結局、今まで「まだ小さい」「若い」ってことで甘やかして、「食」とか「生活」とか「エネルギー資源」とか、そういうことについて深く考えることを、大人も放棄して、「楽して」生きて来たんだと思う。

子どもが無防備に飲み食いするのも「若さだ」みたいに言っておいて、自分もまた手がかからなくていいし、難しい経済や政治について考える必要もなく、「幸せな家族」って思ってれば良かったわけだから、大人も「楽」できたきたわけだ。

だから、その「楽」を維持するために、「放射能しょうがない」って思うのは大人の勝手だが、そういうところで、何が起きるか分からないような「賭け」の犠牲になっていく子どもたちもかわいそうだと思う。

僕はたしかに高校生、大学生の時、たいして考えもせず飲み食いしてきたけど、子どもの時はおやつなんて、「ばあちゃんの握ったおにぎり」が当たり前だった。

そういう「価値」を改めて考える。

何もかも消費することが当たり前で、それが享楽になっている「都会的な生活」の「負の側面」。

そして、そういう若い人の「反抗」「放蕩」みたいなのを、ネガティブにではなく「かっこいい」と思う感覚。

「かっこつけてられるのも今のうちだけ」と、まるでそれが「大人になるために不可欠なステージ」であるかのように考える親たち。

これからの子どもは、そういう部分でもリテラシー身につけなきゃだめでしょう。

たしかに僕らの親の世代よりは、今の30代40代の人の方が、子どもの食べ物には気をつけてる人多いと思うけど、

それでも、「放射能」に対してはこの状況だからなあ、、、。

俺のファストフードは「おにぎり」だ!

「放射能汚染されてない産地の米で作ったおにぎり、かっこいい!」

みたいに胸張って言う高校生いないだろうか。

それをきっちり「青春」と感じることができるタイムスパンで自分の現在を見通せるような、「明るい」子どもたち。

いるだろうな、きっと。

原発事故起きた国で、もう「ロック」も「パンク」もないだろう。

それを「ひどく格好悪い」と認識できる若者。

本当の意味で大人の言いなりにならない子どもたち。

そして、僕らが経験したこともないような「文化」をこれから生み出して欲しい。

例えそれが、日本の「外れ」でも、あるいは「外」であっても。





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