「放射能は薄まればたいしたことない」という信仰 [被曝]
ここ数日低線量被ばくについて考えて来て、
遅ればせながら、ようやく今回の福島原発事故による放射能問題の核心に気が付いた。
何で今まで気が付かなかったんだろう?
それは「放射能は危険か?危険じゃないか?」の議論じゃないんだ。
原発推進派だって放射能たいしたことない派だって、
「放射能は危険です」
とはっきり言うのだ。
問題の核心は、
「低線量被ばくによる健康被害は存在するか?しないか?」
であり、
国はそれを、
「存在しない」
と疑いを持たずに断言しているのだ。
それはもはや「信仰」みたいなもので、この低線量被ばく問題は、「科学論争」ではなく、その信仰対象を巡るほとんど「宗教戦争」に近いものなんだと思う。
僕は今まで、
・低線量被ばくは危険であることは国も電力会社も分かっている
・それを認めれば、広大な地域を避難区域にしなければならず、その補償によって国家が崩壊してしまう
・しかし加害者にとって幸いなことに、低線量被ばくと健康被害の因果関係は科学的に証明できない。
・それをいいことに、国は自己保身のために腹を決めて「低線量被ばくによる健康被害は考えにくい」と意図的に嘘を突き通すことにした。
、、、そんな風に考えてきた。
さらにその結果として健康被害が全国で平均化すれば、福島だけが突出することもなくなるから、補償を最小に抑えることができる、と。
そして多くの反原発派はそう考えていると思う。
だからネット上で「国はバカだ」「国は国民の健康よりも経済を優先した」「国民の命を犠牲にして自分たちの利益を守った」「国は嘘をついている」「電力会社、官僚、政治家、御用学者は悪を認識しながら、ごまかせると踏んで犯罪行為を続けている」と国を責め続けてきたのだ。
しかし、彼らは「嘘なんてついていない」んだ。
それどころか、
「低線量被ばくによる健康被害は存在しないと、心の底から信じている」
そこなんだ。
その「一点」だ。
それを「心の底」から認めてしまえば、後は霧が晴れるように、さーっと目の前に道が開ける。
己を苛み続けた忌まわしい原発事故が忘却の彼方に消え失せ、まるで絶望的な病から回復した後の歓喜が全身を包むように、未来へ向かう意気揚々とした活力がみなぎってくる。
この放射能不安からの解放。
原発災禍における自己啓発。
全てをひっくり返す魔法の信念。
見えない原子核の不確定性に捕われた心の「解脱プロセス」。
それらのカギがそこにある。
さあ、唱えろ。マントラのごとく何度も、何度も繰り返して、心の中で叫べ。
低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、
低線量被ばくによる健康被害は存在しない!
何度でも言う。
それは「存在しない!」
「存在しないんだよ!!」
ああ! 俺はとうとう救われた! 俺には何も起きない!
そして俺の家族にも! どこにも! 誰にも! 何も起きない!
全ては今まで通り、あるがままの輝きに満ちている。
生きること、このすばらしさ。
命万歳!
そうだ、だから、何も恐れるものはない。
「存在しないもの」を怖がってどうする?
がれきも、食品も、広げれば広げるほど、薄めれば薄めるほど、
それは「消える!」
消えて「なくなる!」
だから、広げよう。
そうだ、薄めよう。
100ベクレル/kgの食べ物を、一人で全部、一度に食べることなんてないだろう?
それだってたいしたことないのに、それを100人で10gずつ分けたらどうなる?
たった1ベクレルだ。
つまり「0」だ。
福島原発から1日2.4億ベクレル漏れてるって?
なーに、それがもし日本中にばらまかれたって、日本人全員で分ければ、一人当たりたった2ベクレルじゃないか?
つまり「0」だ!
誰も苦しまないし、誰もそれが原因で病気になんてならない、、、そしてみんなが幸せになれるんだ、、、。
え?
「0」じゃないだろうって?
君はまだ分からないのかい?
だまされていたんだよ、俺たちは!
いいかい、見てみろ、地球誕生から46億年、生命が生まれてから35億年、世界中放射線に満ちあふれて、俺たちはその中で、「放射能まみれ」で生きて来たんだ!
そこで耐え抜く力を備えているからこそ、今ここに俺たちは存在するわけだ。
つまりこういうことさ。放射能なんて、水や塩と同じなんだ。
君の体の70%が水で出来ていて、その0.85%が塩分だ。
水分も塩分も生きるために絶対に必要だが、だからといって1度に100リットルや100kgの塩を摂取したら、そりゃ人間は死んでしまうさ。
だけど、1日に必要な量、例えば塩が1.5gだとして、そこで0.001gあるいは0.01g多く料理に使って、1.501g食べたからと言って、病気になるかい? ならないだろう?
水を1日に1リットル飲むのと、1.01リットル飲むので、何か違いがあるかい?
それと一緒さ、低線量被ばくってのは。
さらに言うなら、人体には元々放射性カリウムが6000ベクレル存在して細胞を破壊しているんだ。それでも細胞は自己修復するし、傷ついたDNAだって日々修復される機能を人間は持っているんだ。
まあガンになる時はなるだろうが、そればかりは運命、「神のみぞ知る」ってとこだ。
そこにセシウムが「数ベクレル」増えたからって、一体何が起きるっていう?
「何も起きない」
それが答え。
低線量被ばくなんて存在しないってのはそういうこと。
つまり人間が細胞レベルで認識し得る世界の限界において、
それは「0」なんだよ!
--------
もちろん本当の「嘘つき」や影の「悪人」は存在するのだろうが、こういった洗脳のような「安全神話」を官僚や政治家や国民の多くが信じ切って、心理的に「共有」して、国家全体が動いているんだと思う。
いや、「神話」とかじゃないな。
中途半端に合理的な、ご都合主義的効率主義、、、「立場主義的」思考というか、、、
おそらく個人的には勤勉に、0.0001のリスクが存在することを割り出しても、立場上「0」がよければ「0」にして、それを信じることができる。
全身に分散して存在し、細胞の自己修復機能とバランスを取っている自然由来の放射性カリウムと、臓器のある一カ所に蓄積して、集中的に周辺細胞やDNAを破壊し続ける人口放射性核種であるセシウムの違いを認識しても、立場を守るためだったら、都合良く主張をアレンジして疑念を取っ払い、「同じです」と断定できる「軽やかな」思考。
人類史上最悪の原発事故を経験したにもかかわらず、未来のためにそれを直視し、反省し、変革を遂げるための意志を継続することができない、幼児的な「こらえ性」のなさ。
「忘れること」を信条に、今ここの刹那的享楽に耽溺することでしか生を実感できない消費者的心性。
極めて日本人的思考が、この低線量被ばく問題に如実に表れている。
やはりそれを「改宗」させることは極めて難しいだろう。
だから、己の身は己で守る。
そして今まで通り、家族を第一に考えることにする。
遅ればせながら、ようやく今回の福島原発事故による放射能問題の核心に気が付いた。
何で今まで気が付かなかったんだろう?
それは「放射能は危険か?危険じゃないか?」の議論じゃないんだ。
原発推進派だって放射能たいしたことない派だって、
「放射能は危険です」
とはっきり言うのだ。
問題の核心は、
「低線量被ばくによる健康被害は存在するか?しないか?」
であり、
国はそれを、
「存在しない」
と疑いを持たずに断言しているのだ。
それはもはや「信仰」みたいなもので、この低線量被ばく問題は、「科学論争」ではなく、その信仰対象を巡るほとんど「宗教戦争」に近いものなんだと思う。
僕は今まで、
・低線量被ばくは危険であることは国も電力会社も分かっている
・それを認めれば、広大な地域を避難区域にしなければならず、その補償によって国家が崩壊してしまう
・しかし加害者にとって幸いなことに、低線量被ばくと健康被害の因果関係は科学的に証明できない。
・それをいいことに、国は自己保身のために腹を決めて「低線量被ばくによる健康被害は考えにくい」と意図的に嘘を突き通すことにした。
、、、そんな風に考えてきた。
さらにその結果として健康被害が全国で平均化すれば、福島だけが突出することもなくなるから、補償を最小に抑えることができる、と。
そして多くの反原発派はそう考えていると思う。
だからネット上で「国はバカだ」「国は国民の健康よりも経済を優先した」「国民の命を犠牲にして自分たちの利益を守った」「国は嘘をついている」「電力会社、官僚、政治家、御用学者は悪を認識しながら、ごまかせると踏んで犯罪行為を続けている」と国を責め続けてきたのだ。
しかし、彼らは「嘘なんてついていない」んだ。
それどころか、
「低線量被ばくによる健康被害は存在しないと、心の底から信じている」
そこなんだ。
その「一点」だ。
それを「心の底」から認めてしまえば、後は霧が晴れるように、さーっと目の前に道が開ける。
己を苛み続けた忌まわしい原発事故が忘却の彼方に消え失せ、まるで絶望的な病から回復した後の歓喜が全身を包むように、未来へ向かう意気揚々とした活力がみなぎってくる。
この放射能不安からの解放。
原発災禍における自己啓発。
全てをひっくり返す魔法の信念。
見えない原子核の不確定性に捕われた心の「解脱プロセス」。
それらのカギがそこにある。
さあ、唱えろ。マントラのごとく何度も、何度も繰り返して、心の中で叫べ。
低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、低線量被ばくによる健康被害は存在しない、、、
低線量被ばくによる健康被害は存在しない!
何度でも言う。
それは「存在しない!」
「存在しないんだよ!!」
ああ! 俺はとうとう救われた! 俺には何も起きない!
そして俺の家族にも! どこにも! 誰にも! 何も起きない!
全ては今まで通り、あるがままの輝きに満ちている。
生きること、このすばらしさ。
命万歳!
そうだ、だから、何も恐れるものはない。
「存在しないもの」を怖がってどうする?
がれきも、食品も、広げれば広げるほど、薄めれば薄めるほど、
それは「消える!」
消えて「なくなる!」
だから、広げよう。
そうだ、薄めよう。
100ベクレル/kgの食べ物を、一人で全部、一度に食べることなんてないだろう?
それだってたいしたことないのに、それを100人で10gずつ分けたらどうなる?
たった1ベクレルだ。
つまり「0」だ。
福島原発から1日2.4億ベクレル漏れてるって?
なーに、それがもし日本中にばらまかれたって、日本人全員で分ければ、一人当たりたった2ベクレルじゃないか?
つまり「0」だ!
誰も苦しまないし、誰もそれが原因で病気になんてならない、、、そしてみんなが幸せになれるんだ、、、。
え?
「0」じゃないだろうって?
君はまだ分からないのかい?
だまされていたんだよ、俺たちは!
いいかい、見てみろ、地球誕生から46億年、生命が生まれてから35億年、世界中放射線に満ちあふれて、俺たちはその中で、「放射能まみれ」で生きて来たんだ!
そこで耐え抜く力を備えているからこそ、今ここに俺たちは存在するわけだ。
つまりこういうことさ。放射能なんて、水や塩と同じなんだ。
君の体の70%が水で出来ていて、その0.85%が塩分だ。
水分も塩分も生きるために絶対に必要だが、だからといって1度に100リットルや100kgの塩を摂取したら、そりゃ人間は死んでしまうさ。
だけど、1日に必要な量、例えば塩が1.5gだとして、そこで0.001gあるいは0.01g多く料理に使って、1.501g食べたからと言って、病気になるかい? ならないだろう?
水を1日に1リットル飲むのと、1.01リットル飲むので、何か違いがあるかい?
それと一緒さ、低線量被ばくってのは。
さらに言うなら、人体には元々放射性カリウムが6000ベクレル存在して細胞を破壊しているんだ。それでも細胞は自己修復するし、傷ついたDNAだって日々修復される機能を人間は持っているんだ。
まあガンになる時はなるだろうが、そればかりは運命、「神のみぞ知る」ってとこだ。
そこにセシウムが「数ベクレル」増えたからって、一体何が起きるっていう?
「何も起きない」
それが答え。
低線量被ばくなんて存在しないってのはそういうこと。
つまり人間が細胞レベルで認識し得る世界の限界において、
それは「0」なんだよ!
--------
もちろん本当の「嘘つき」や影の「悪人」は存在するのだろうが、こういった洗脳のような「安全神話」を官僚や政治家や国民の多くが信じ切って、心理的に「共有」して、国家全体が動いているんだと思う。
いや、「神話」とかじゃないな。
中途半端に合理的な、ご都合主義的効率主義、、、「立場主義的」思考というか、、、
おそらく個人的には勤勉に、0.0001のリスクが存在することを割り出しても、立場上「0」がよければ「0」にして、それを信じることができる。
全身に分散して存在し、細胞の自己修復機能とバランスを取っている自然由来の放射性カリウムと、臓器のある一カ所に蓄積して、集中的に周辺細胞やDNAを破壊し続ける人口放射性核種であるセシウムの違いを認識しても、立場を守るためだったら、都合良く主張をアレンジして疑念を取っ払い、「同じです」と断定できる「軽やかな」思考。
人類史上最悪の原発事故を経験したにもかかわらず、未来のためにそれを直視し、反省し、変革を遂げるための意志を継続することができない、幼児的な「こらえ性」のなさ。
「忘れること」を信条に、今ここの刹那的享楽に耽溺することでしか生を実感できない消費者的心性。
極めて日本人的思考が、この低線量被ばく問題に如実に表れている。
やはりそれを「改宗」させることは極めて難しいだろう。
だから、己の身は己で守る。
そして今まで通り、家族を第一に考えることにする。
2013-03-17 03:02
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