子育てと運命 [育児]
今朝妻と話していて、
「君は血液型やDNAもそうだけど、自分の性格や人生について運命論的に考える傾向がある」
と言ったところ、
「あなただって『俺には無理』とか言って、できないことを自分の境遇のせいにすることあるんだから、同じ運命論者だ」
と言われて、何だか混乱してしまった。
このことを、子育てに対する自分の考え方と一緒に、整理して説明してみようと思う。
-----
まず、自分は運命論者(人生はあらかじめ神や運命によって決定されたものと考える)ではない。
だけど、だからと言って、「運命を信じない」のかと言えば、まったくそうではない。
逆にむしろ「運命を信じている」ぐらいだ。
こんなこと言うとまるで矛盾したことを平気で言う分裂症みたいに聞こえる。
しかし、これは「運命」という言葉の持つ意味を、明確にしていないために、そう聞こえるだけで、僕の中では筋が通っている。
つまり、こういうことだ。
僕は、
「『すでに起きてしまったこと』は『運命』として受け入れる。しかし『これから起きること』は『いまだ決定していない』から、自分で変えることができる」
そう考えている。あるいは、
過去は「決定したものとして受け入れるしかない」
未来は「決定していないものとして変えることができる」
と考えている。
そして、僕が言う「未来」とは、絶えず「過去=運命」になっていく「現在」のことだ。
だから、僕はやがて「過去=運命」となって僕とその人生を変えて行く「未来」へ突き進んで行く「現在」にアプローチする。
結局僕が自分の「意思」で変えられるものは、「現在」しかない。
そして「現在」を変える僕自身の行動が、「過去=運命」を次から次へと作り出して行き、それがやがて「未来」を変えて行く。
-------
先日こんなことがあった。
僕たちが住む市内の子供たちとその父母を集めたイベントがあって、そこで最後に豪華景品が当たる「抽選会」があった。
イベントは一部二部に分かれていて、何か役所関係の偉い人や、どこかの小学校の校長先生があいさつしたり、教育アドバイザーみたいな人が子育ての講演みたいなことをした。
たいして面白い話ではなかったし、皆ざわついて、走り回っている子供もいた。
ただ、その「校長先生」がユーモアのある人で、説教くさいことをまったく言わずに、クイズを出したりアンパンマンの真似をしたりして子供を笑わせ、そして最後に「お父さんお母さんにお願いがあります。この二つをぜひお家で実践してください」と言った。
一つは「子供を早く寝かせる」
もう一つは「子供を抱きしめてあげる」
何て事ないことだが、僕はとても深い言葉だと思った。
その意味については最後に書く。
-------
一部と二部の間で休憩があって、妻はその時に「どうする?もう帰る?」とため息まじりに言った。
こういう義務的に参加しなければならないようなイベントに「うんざり」するのは妻の「悪い癖」(僕はそう思っている)で、今まで何度も「いや、行こうよ」「やった方がいいよ」と僕は言って来たのだが、そうやって「がんばって参加する」と、妻は極端に疲労してしまう。
何でそんなに「大変」なんだろう?と思うのだが、おそらくこれは、妻の母親が、そういった「義務的」「強制的」な「参加型イベント」のようなものを「避けて来た」せいがあるのだろうと思う。
なぜ「避けて来た」のかと言うと、まず「義務的である」ことが「不毛」と考えているからだ。
そして、「不毛だ」と思っているから、そこに参加することは「苦痛」になる。
ところが、多くの父母はそんなことを考えない。
「義務だから」「みんな行っているから」「賞品もらえるから」
そんな理由で参加しているに過ぎない。
だから、僕もそんな非主体的な人間と一緒にぼけーっと参加することは「不毛だ」と思う。
同時に、「それを言ったらあらゆるものが不毛だし、人間社会そのものが不毛だ」とも思ってしまう。
(そして妻の母には、そういった極端なペシミズムと、その対局にある理想主義が同居していて、妻もその考えを引きずっている)
しかし僕はそこで、「だけど」と思う。
「だけど、そこに生きざるを得ないのが人間じゃないか」と。
そしてまた考える。
「俺がもし、このつまらないイベントの『あの壇上』に立たされたら、果たしてあのユーモラスな『校長』のように、気が効いたことを話せるだろうか?」
そしてこう思う。
「いやいや、できない。むしろ、あの教育何とかアドバイザーみたいに、パワーポイントで誰も読まないようなグラフやら文字でいっぱいのスライドを用意して、会場がざわつこうが子供が走り回ろうが気にもせず、『ご清聴ありがとうございました』などと満足げに締めくくって、自分では『いい仕事をした』などと思うタイプだ」
だから、一応はそういう場を作った役所関係のオーガナイザーやらイベントスタッフには敬意を表すし、結局、そういう場に自分の子供も「巻き込まれていく」のは分かり切ったことなのだから、「えーい、なるようになれ!」という感じでむしろ「飛び込んで行く」。
「なるようになれ!」という諦めた感覚よりは、「まあ別にいいんじゃないか?」ぐらいの脱力した感じだが、僕はそこに「ゆるい好奇心」みたいなのを持っていて、微妙にワクワクしてしまう。
そして、たいていその「ワクワク」は、良い結果を生む。
それは今回はこんな感じだった。
-------
妻は「どうする?帰る?帰ってる人もいるよ」と僕に聞いた後、子供に「帰りたい?」と聞いた。
こういう聞き方をすれば、たいていの子供は「帰りたい」と言う。
なぜかと言うと、「帰りたい」のは子供ではなく、「妻」の方だから、子供はその気持ちを反映して「帰りたい」と言うからだ。
だから僕は言った。
「いや、帰らないよ。帰らない方がいい」
そして
「ほら、あそこにお友達いるよ、行ってあいさつして来なよ」
そう子供を「焚き付ける」。
子供は「やだ、はずかしい」と言って最初は行かない。
しかしこれもいつものことだ。
するとその友達がこちらにやって来て、声をかけてくる。たちまちうちの子も一緒に会場を駆け出す。走り回る。
これだけでも僕は「残って良かった」と思う。
そして第二部が始まる。さらに輪をかけてつまらない話が続く。子供はもう飽きて通路を上ったり降りたりしている。
しかし最後にみんなで歌や踊りをしたところでは、とても楽しそうにしていた。
いよいよ最後のイベント。抽選会。
これが、今回僕がもっとも気に入った、「運命的な出来事」だった。
賞品はかなり豪華で、自転車やCDラジカセなんかが当たったのだが、とうとううちの子供の名前は呼ばれなかった。
うちの子はビンゴとかくじ引きとか、割と「くじ運」は良い方で、今までにも何度か「一等」を当てている。
だから今回も「きっと当たる」と妙な自信を持っていたのかもしれない。
途中「当たったら、一人で行くのやだ。お母さん一緒に行って」と、すでに「当たったかのような気分」になっている。
しかし、結局、最後まで、何も、一番安い文房具セットみたいなものすらも、当たらなかった。
しかも途中、知り合いの、うちの子供が「好きな子」が、「図書券5000円分」みたいなのを当てたものだから、余計にショックがでかかったのかもしれない。
根拠の無い、誇大妄想的な「自信」、子供が誰でも持つ「全能感」は、もろくも崩れ去った。
子供はポロポロと涙をこぼし始める。
「なんで、、、、なんでだよお、、、なんで当たらないんだよお、、、」
こうなることは分かっていた。だから僕もできれば「当たってほしかった」。
子供の喜ぶ顔を見たかった。
だけど、これもまた「人生」だ。
そういう時もある。
だから、僕はそこで気持ちを切り替える。
「よし、この『不運』に最後まで付き合おう」
と。
-------
子供は帰りの車の中でも「当たらなかったー!」とずっと泣き続けた。
「当たる時もあれば当たらない時もあるんだよ。しょうがないんだよ」とか「次は当たるよ」とか、僕たちなりに慰めたけど、どうすることもできなかった。
ここで「じゃあ、〇〇買ってあげる」とか「おいしいの食べよう」とか言うこともあるだろう。だけど、僕はそんなバーター取引みたいなことはしない。
そんなことで、せっかく僕らとその子供に与えられた「運命」を無駄にしたくない。
だから、とりあえずスーパーに「買い物」に行くことにした(もしかしたらその買い物の最中に『甘いものぐらい買ってあげてもいい』と思いつつ)。
そうしたら、本当に、さらに神がいたずらをしたかのような運命的なことが起きた。
さっき「図書券5000円」を当てた「うちの子が好きな子」が、まったく同じタイミングでそのスーパーに来て、入り口のところで鉢合わせしたのだ。
僕はそのお父さんのことも知っているので、「すごいですね。何か当たってましたね?」と話しかけた。するとそのお父さんは「いやあ、何か商品券みたいなの当たって、、、」と答えて、その「うちの子が好きな子」が「〇〇ちゃん!」とうちの子供に呼びかけたのだ。
この状況にうちの子供は脳天を打ち砕かれるようなショックを受けたのだろう。
自分は何ももらえず、打ちのめされ、さらに自分の父が自分の好きな子の父に「すごいですね!」などと話しかけ、あろうことか今度はその子に「話しかけられ」、言ってみれば「傷口に塩を塗られた」のだ。
僕が振り返ると、子供は背中を向けてスーパーの裏口の方へスタスタと歩いている。
もういても立ってもいられないのだ。
僕が追いかける。追いついて、顔を見る。今にも泣きそうな顔で一心に歩き続けている。
「〇〇、何やってるんだ?どこ行くの?雨に濡れるだけだぞ。戻ろう。買い物行くよ」
とたんに「うわーん!」と泣き出す。僕は手を引いて店の裏にある入り口に戻る。
妻も待っていて、慰める。
だけど、もうだめだ。どうすることもできない。僕も何度も言う。
「当たることもあれば、当たらないこともあるんだよ。しょうがないんだよ」
子供は靴を脱ぎ捨て、僕らにぶつけようとする。
妻が耐えられなくなったかのようにとうとう言う。
「じゃあ、おいしいもの食べる?何が食べたい?」
そこで僕はそれを制する。
「ごめん、ここは僕が何とかするから。大丈夫だから。買い物して来て」
妻も今回は諦めて僕らから離れた。
子供を抱きしめて、もう一度僕は言う。
「これはしょうがないことなんだよ」
子供は裸足で、自動ドアの隣に寝転び、恐ろしい叫び声を上げて泣く。
自分の頭を叩き、袖を噛み、自分の指を噛み、
「当たりたかったあ!!当たらなかった自分は馬鹿だあ!!バカだあー!!」と泣き叫ぶ。
今までスーパーやおもちゃ屋で、床に転がって「買って買って!!」と泣き叫ぶ「ヨソの子」を何度も見て、「うちの子はこういうことはないな」と思って来たけど、こんなことは初めてだった。
スーパーの店員が時々覗きに来たし、店内で声を聞いた客も、何か虐待でもしてるんじゃないか?という感じで、興味津々で裏口から出て来て、僕らを憐れな目で見て通り過ぎた。
とうとう最後に子供はしゃくり上げながら、「お母さん、、、お母さん、、、」と泣き始めた。
そこで僕も耐えきれずに、何も言わないで抱き上げた。
妻も戻って来て、声をかける。
それでも子供はまだ泣き続けている。
ふと店内を見ると、「うちの子の好きな子」のお父さんが、レジで会計をしていて、一瞬僕の方を見て目を伏せた。
おそらく、僕らの子が「くやしくて泣いている」のが分かっているし、それが自分の子供が景品を当てたせいでもあるということが分かって、何かバツが悪い感じを覚えたんだと思う。
だけど、その後また僕を見て、帰り際に「にっこりして」会釈をした。
僕も子供を抱きかかえながら、微笑んで会釈をした。
僕は、そのお父さんを「とてもいい人」と思った。
これもまた、ある種の運命的な出来事だと思った。
------
その後、子供は「お腹が減ったー!」と泣いたので、いつものパン屋で好きなクリームパンを食べて、ようやく機嫌が直り、そしてその後珍しく2時間ぐらい寝てしまった。よっぽど疲れたのだろう。
子供が寝ている間、僕らはその出来事について話し、僕は、
「このあと、もう一度、『当たることもあれば、当たらないこともある。それはもうしょうがないことなんだ』ときちんと言葉にして伝える。例えそれが子供にとって、『もう思い出したくないこと』であり、それによってもう一回子供が泣いたとしても、僕はその話をする」
と妻に言った。妻は「私には分からない」と言った。
おそらく、わざわざ抽選会まで残って、そこでハズレて嫌な思いをして、それをさらに掘り返すような僕のやり方に、納得が行かないのかもしれない。
だけど、そういう「不運」を直視して、自分で乗り越えて、その思考プロセスを自分で「体験」する、神が与えたかのような「運命」を、僕は無駄にしたくないし、むしろその「運命」を呼び込むために、僕はあの場に「留まった」のだ。
だから、僕は最後まで付き合う。そう決めた。
-------
その夜、僕と子供は、「いつものように」一緒に湯船につかり、「いつものように」レゴの船で「ごっこ遊び」をした。
僕は「今がチャンスだ」と思って、今日の話を切り出した。
「〇〇、今日クジ当たらなくて、スーパーの外で泣いたでしょう?悔しかったの?」と僕は聞いた。
すると子供は、レゴを持った手を止めて、真剣な顔になって、「、、、うん、、、当てたかった」と涙ぐんで答えた。
「そうだね。当たったらよかったよね。だけど、当たる時もあれば、当たらない時もある。それは〇〇のせいじゃないんだよ」
子供は一点をじっと見つめて、返事をしない。
僕は話を続ける。
「△△ちゃん(うちの子が好きな子)は当たったね。だけど次は△△チャンがハズレて、〇〇が当たるかもしれない。それは分からないんだよ。だから、明日学校に行ったら、△△ちゃんに『当たって良かったね』って言ってあげなさい」
(この『当たって良かったねって言ってあげなさい』という言葉は、言うつもりはなかったけど、何となく流れで口から出てしまって、僕は自分で気に入った)
子供は何も言わない。一点を見つめたままだ。
だけど、僕には分かる。この子が「ちゃんと理解した」ことを。
だから、僕は、「ごっこ遊び」に戻った。
「今日の海は静かだなあ。潜水艦はいないのかな?どこだ、どこだ?」
子供はしばらく、その世界に入れないかのようにまじめな顔をしていたけど、すぐに、
「どかーん、ばしゅーん」とか言って、僕のボートを「攻撃」してきた。
-------
そして次の日の朝、僕は「いつものように」、学校に向かう道を途中まで一緒に歩いた。
雨上がりで、道路は濡れて、ところどころ水たまりができていた。
そして「いつものように」、子供は、「ただいま雨雲の中を飛んでいます」と飛行機の真似をして、水たまりのところに来ると、「あ、台風です」と言ってそれを避けた。
すると子供が突然、とても明るい声で、
「△△(好きな子)すげえな」と言った。
だから僕も「おっ」と思って、
「すごいよね。当たったもんね」と答える。
子供は「最初住所が呼ばれて、名字が呼ばれて、絶対△△って思ったら、やっぱりそうだった」
とうれしそうに言う。
「そうだね。今日会ったら、『よかったね』って言ってあげな。△△ちゃん、きっと喜ぶよ」
「うん」
--------
子供が本当にその子に「よかったね」と言うかどうかはどうでもいい。重要なのは、子供が自分の力で、その心の中のコンフリクト、矛盾、不運、理不尽さを乗り越えて、そして「笑顔」でそれを言葉にできるようになったことだ。
そのために、その「経験」を与えてあげるために、僕はあの場に「留まった」。
だけど、何が起きるかなんて、僕には予測も予想もできなかった。
ただ直感的に、「ゆるい好奇心」を持っていただけで、結局「つまらないまま」何も起きず、「不毛なまま」家に帰ったかもしれないし、もしかしたらまた「一等」をうちの子が引き当てて、歓喜の中で、さらなる「全能感」をうちの子は持ち続けたかもしれない。
だから、結局は「起きたこと=過去=運命」を僕は作り出すことはできなかった。
ただ、その入り口を変えたのは、僕ら親の行動であり、その判断なのだ。
そしてもう一つ重要なのは、そうやって生じた「運命」を生かすも殺すも、僕ら親が日々の生活を通じて築く、子供との「何気ない会話」をできるかできないか?なんだと思う。
そういった親子関係が築かれてなければ、それを伝達する言葉も単なる「説教」にしかならない。
「運命」を子供に伝え、納得させ、子供の身になるようにするための全ては、「日常」にかかっている。
だから僕は、毎日同じように子供と風呂に入り、毎日同じようにごっこ遊びをし、いつも同じように、雨上がりの道路にある水たまりを「台風に見立てて」歩く。
生きた言葉を伝えるために。
-------
そして最後に、僕が今回感じたもう一つ重要な出来事である、「校長先生」が言った、「子供を抱きしめてください」というあの言葉。
今回の出来事でどんなに僕が「運命」を「言葉」で子供に伝えたとしても、結局僕は子供を本当の意味で「安心させる」ことはできなかった。
スーパーの裏口で子供が地面を転がり回って泣き叫んだ時、父親の僕がどんなに「説明」しても、僕にはどうすることもできなかった。
そして子供は最後に「お母さん、、、お母さん、、、」としゃくり上げたのだ。
だから、僕は「抱き上げた」。
だけど、本当の意味で「抱きしめる」ことができるのは、ただ「母親だけ」なんだと思う。
母親の存在は言葉ではない。
だからあの「校長先生」は最後に、
「子供を抱きしめてください」と言ったのだ。
「君は血液型やDNAもそうだけど、自分の性格や人生について運命論的に考える傾向がある」
と言ったところ、
「あなただって『俺には無理』とか言って、できないことを自分の境遇のせいにすることあるんだから、同じ運命論者だ」
と言われて、何だか混乱してしまった。
このことを、子育てに対する自分の考え方と一緒に、整理して説明してみようと思う。
-----
まず、自分は運命論者(人生はあらかじめ神や運命によって決定されたものと考える)ではない。
だけど、だからと言って、「運命を信じない」のかと言えば、まったくそうではない。
逆にむしろ「運命を信じている」ぐらいだ。
こんなこと言うとまるで矛盾したことを平気で言う分裂症みたいに聞こえる。
しかし、これは「運命」という言葉の持つ意味を、明確にしていないために、そう聞こえるだけで、僕の中では筋が通っている。
つまり、こういうことだ。
僕は、
「『すでに起きてしまったこと』は『運命』として受け入れる。しかし『これから起きること』は『いまだ決定していない』から、自分で変えることができる」
そう考えている。あるいは、
過去は「決定したものとして受け入れるしかない」
未来は「決定していないものとして変えることができる」
と考えている。
そして、僕が言う「未来」とは、絶えず「過去=運命」になっていく「現在」のことだ。
だから、僕はやがて「過去=運命」となって僕とその人生を変えて行く「未来」へ突き進んで行く「現在」にアプローチする。
結局僕が自分の「意思」で変えられるものは、「現在」しかない。
そして「現在」を変える僕自身の行動が、「過去=運命」を次から次へと作り出して行き、それがやがて「未来」を変えて行く。
-------
先日こんなことがあった。
僕たちが住む市内の子供たちとその父母を集めたイベントがあって、そこで最後に豪華景品が当たる「抽選会」があった。
イベントは一部二部に分かれていて、何か役所関係の偉い人や、どこかの小学校の校長先生があいさつしたり、教育アドバイザーみたいな人が子育ての講演みたいなことをした。
たいして面白い話ではなかったし、皆ざわついて、走り回っている子供もいた。
ただ、その「校長先生」がユーモアのある人で、説教くさいことをまったく言わずに、クイズを出したりアンパンマンの真似をしたりして子供を笑わせ、そして最後に「お父さんお母さんにお願いがあります。この二つをぜひお家で実践してください」と言った。
一つは「子供を早く寝かせる」
もう一つは「子供を抱きしめてあげる」
何て事ないことだが、僕はとても深い言葉だと思った。
その意味については最後に書く。
-------
一部と二部の間で休憩があって、妻はその時に「どうする?もう帰る?」とため息まじりに言った。
こういう義務的に参加しなければならないようなイベントに「うんざり」するのは妻の「悪い癖」(僕はそう思っている)で、今まで何度も「いや、行こうよ」「やった方がいいよ」と僕は言って来たのだが、そうやって「がんばって参加する」と、妻は極端に疲労してしまう。
何でそんなに「大変」なんだろう?と思うのだが、おそらくこれは、妻の母親が、そういった「義務的」「強制的」な「参加型イベント」のようなものを「避けて来た」せいがあるのだろうと思う。
なぜ「避けて来た」のかと言うと、まず「義務的である」ことが「不毛」と考えているからだ。
そして、「不毛だ」と思っているから、そこに参加することは「苦痛」になる。
ところが、多くの父母はそんなことを考えない。
「義務だから」「みんな行っているから」「賞品もらえるから」
そんな理由で参加しているに過ぎない。
だから、僕もそんな非主体的な人間と一緒にぼけーっと参加することは「不毛だ」と思う。
同時に、「それを言ったらあらゆるものが不毛だし、人間社会そのものが不毛だ」とも思ってしまう。
(そして妻の母には、そういった極端なペシミズムと、その対局にある理想主義が同居していて、妻もその考えを引きずっている)
しかし僕はそこで、「だけど」と思う。
「だけど、そこに生きざるを得ないのが人間じゃないか」と。
そしてまた考える。
「俺がもし、このつまらないイベントの『あの壇上』に立たされたら、果たしてあのユーモラスな『校長』のように、気が効いたことを話せるだろうか?」
そしてこう思う。
「いやいや、できない。むしろ、あの教育何とかアドバイザーみたいに、パワーポイントで誰も読まないようなグラフやら文字でいっぱいのスライドを用意して、会場がざわつこうが子供が走り回ろうが気にもせず、『ご清聴ありがとうございました』などと満足げに締めくくって、自分では『いい仕事をした』などと思うタイプだ」
だから、一応はそういう場を作った役所関係のオーガナイザーやらイベントスタッフには敬意を表すし、結局、そういう場に自分の子供も「巻き込まれていく」のは分かり切ったことなのだから、「えーい、なるようになれ!」という感じでむしろ「飛び込んで行く」。
「なるようになれ!」という諦めた感覚よりは、「まあ別にいいんじゃないか?」ぐらいの脱力した感じだが、僕はそこに「ゆるい好奇心」みたいなのを持っていて、微妙にワクワクしてしまう。
そして、たいていその「ワクワク」は、良い結果を生む。
それは今回はこんな感じだった。
-------
妻は「どうする?帰る?帰ってる人もいるよ」と僕に聞いた後、子供に「帰りたい?」と聞いた。
こういう聞き方をすれば、たいていの子供は「帰りたい」と言う。
なぜかと言うと、「帰りたい」のは子供ではなく、「妻」の方だから、子供はその気持ちを反映して「帰りたい」と言うからだ。
だから僕は言った。
「いや、帰らないよ。帰らない方がいい」
そして
「ほら、あそこにお友達いるよ、行ってあいさつして来なよ」
そう子供を「焚き付ける」。
子供は「やだ、はずかしい」と言って最初は行かない。
しかしこれもいつものことだ。
するとその友達がこちらにやって来て、声をかけてくる。たちまちうちの子も一緒に会場を駆け出す。走り回る。
これだけでも僕は「残って良かった」と思う。
そして第二部が始まる。さらに輪をかけてつまらない話が続く。子供はもう飽きて通路を上ったり降りたりしている。
しかし最後にみんなで歌や踊りをしたところでは、とても楽しそうにしていた。
いよいよ最後のイベント。抽選会。
これが、今回僕がもっとも気に入った、「運命的な出来事」だった。
賞品はかなり豪華で、自転車やCDラジカセなんかが当たったのだが、とうとううちの子供の名前は呼ばれなかった。
うちの子はビンゴとかくじ引きとか、割と「くじ運」は良い方で、今までにも何度か「一等」を当てている。
だから今回も「きっと当たる」と妙な自信を持っていたのかもしれない。
途中「当たったら、一人で行くのやだ。お母さん一緒に行って」と、すでに「当たったかのような気分」になっている。
しかし、結局、最後まで、何も、一番安い文房具セットみたいなものすらも、当たらなかった。
しかも途中、知り合いの、うちの子供が「好きな子」が、「図書券5000円分」みたいなのを当てたものだから、余計にショックがでかかったのかもしれない。
根拠の無い、誇大妄想的な「自信」、子供が誰でも持つ「全能感」は、もろくも崩れ去った。
子供はポロポロと涙をこぼし始める。
「なんで、、、、なんでだよお、、、なんで当たらないんだよお、、、」
こうなることは分かっていた。だから僕もできれば「当たってほしかった」。
子供の喜ぶ顔を見たかった。
だけど、これもまた「人生」だ。
そういう時もある。
だから、僕はそこで気持ちを切り替える。
「よし、この『不運』に最後まで付き合おう」
と。
-------
子供は帰りの車の中でも「当たらなかったー!」とずっと泣き続けた。
「当たる時もあれば当たらない時もあるんだよ。しょうがないんだよ」とか「次は当たるよ」とか、僕たちなりに慰めたけど、どうすることもできなかった。
ここで「じゃあ、〇〇買ってあげる」とか「おいしいの食べよう」とか言うこともあるだろう。だけど、僕はそんなバーター取引みたいなことはしない。
そんなことで、せっかく僕らとその子供に与えられた「運命」を無駄にしたくない。
だから、とりあえずスーパーに「買い物」に行くことにした(もしかしたらその買い物の最中に『甘いものぐらい買ってあげてもいい』と思いつつ)。
そうしたら、本当に、さらに神がいたずらをしたかのような運命的なことが起きた。
さっき「図書券5000円」を当てた「うちの子が好きな子」が、まったく同じタイミングでそのスーパーに来て、入り口のところで鉢合わせしたのだ。
僕はそのお父さんのことも知っているので、「すごいですね。何か当たってましたね?」と話しかけた。するとそのお父さんは「いやあ、何か商品券みたいなの当たって、、、」と答えて、その「うちの子が好きな子」が「〇〇ちゃん!」とうちの子供に呼びかけたのだ。
この状況にうちの子供は脳天を打ち砕かれるようなショックを受けたのだろう。
自分は何ももらえず、打ちのめされ、さらに自分の父が自分の好きな子の父に「すごいですね!」などと話しかけ、あろうことか今度はその子に「話しかけられ」、言ってみれば「傷口に塩を塗られた」のだ。
僕が振り返ると、子供は背中を向けてスーパーの裏口の方へスタスタと歩いている。
もういても立ってもいられないのだ。
僕が追いかける。追いついて、顔を見る。今にも泣きそうな顔で一心に歩き続けている。
「〇〇、何やってるんだ?どこ行くの?雨に濡れるだけだぞ。戻ろう。買い物行くよ」
とたんに「うわーん!」と泣き出す。僕は手を引いて店の裏にある入り口に戻る。
妻も待っていて、慰める。
だけど、もうだめだ。どうすることもできない。僕も何度も言う。
「当たることもあれば、当たらないこともあるんだよ。しょうがないんだよ」
子供は靴を脱ぎ捨て、僕らにぶつけようとする。
妻が耐えられなくなったかのようにとうとう言う。
「じゃあ、おいしいもの食べる?何が食べたい?」
そこで僕はそれを制する。
「ごめん、ここは僕が何とかするから。大丈夫だから。買い物して来て」
妻も今回は諦めて僕らから離れた。
子供を抱きしめて、もう一度僕は言う。
「これはしょうがないことなんだよ」
子供は裸足で、自動ドアの隣に寝転び、恐ろしい叫び声を上げて泣く。
自分の頭を叩き、袖を噛み、自分の指を噛み、
「当たりたかったあ!!当たらなかった自分は馬鹿だあ!!バカだあー!!」と泣き叫ぶ。
今までスーパーやおもちゃ屋で、床に転がって「買って買って!!」と泣き叫ぶ「ヨソの子」を何度も見て、「うちの子はこういうことはないな」と思って来たけど、こんなことは初めてだった。
スーパーの店員が時々覗きに来たし、店内で声を聞いた客も、何か虐待でもしてるんじゃないか?という感じで、興味津々で裏口から出て来て、僕らを憐れな目で見て通り過ぎた。
とうとう最後に子供はしゃくり上げながら、「お母さん、、、お母さん、、、」と泣き始めた。
そこで僕も耐えきれずに、何も言わないで抱き上げた。
妻も戻って来て、声をかける。
それでも子供はまだ泣き続けている。
ふと店内を見ると、「うちの子の好きな子」のお父さんが、レジで会計をしていて、一瞬僕の方を見て目を伏せた。
おそらく、僕らの子が「くやしくて泣いている」のが分かっているし、それが自分の子供が景品を当てたせいでもあるということが分かって、何かバツが悪い感じを覚えたんだと思う。
だけど、その後また僕を見て、帰り際に「にっこりして」会釈をした。
僕も子供を抱きかかえながら、微笑んで会釈をした。
僕は、そのお父さんを「とてもいい人」と思った。
これもまた、ある種の運命的な出来事だと思った。
------
その後、子供は「お腹が減ったー!」と泣いたので、いつものパン屋で好きなクリームパンを食べて、ようやく機嫌が直り、そしてその後珍しく2時間ぐらい寝てしまった。よっぽど疲れたのだろう。
子供が寝ている間、僕らはその出来事について話し、僕は、
「このあと、もう一度、『当たることもあれば、当たらないこともある。それはもうしょうがないことなんだ』ときちんと言葉にして伝える。例えそれが子供にとって、『もう思い出したくないこと』であり、それによってもう一回子供が泣いたとしても、僕はその話をする」
と妻に言った。妻は「私には分からない」と言った。
おそらく、わざわざ抽選会まで残って、そこでハズレて嫌な思いをして、それをさらに掘り返すような僕のやり方に、納得が行かないのかもしれない。
だけど、そういう「不運」を直視して、自分で乗り越えて、その思考プロセスを自分で「体験」する、神が与えたかのような「運命」を、僕は無駄にしたくないし、むしろその「運命」を呼び込むために、僕はあの場に「留まった」のだ。
だから、僕は最後まで付き合う。そう決めた。
-------
その夜、僕と子供は、「いつものように」一緒に湯船につかり、「いつものように」レゴの船で「ごっこ遊び」をした。
僕は「今がチャンスだ」と思って、今日の話を切り出した。
「〇〇、今日クジ当たらなくて、スーパーの外で泣いたでしょう?悔しかったの?」と僕は聞いた。
すると子供は、レゴを持った手を止めて、真剣な顔になって、「、、、うん、、、当てたかった」と涙ぐんで答えた。
「そうだね。当たったらよかったよね。だけど、当たる時もあれば、当たらない時もある。それは〇〇のせいじゃないんだよ」
子供は一点をじっと見つめて、返事をしない。
僕は話を続ける。
「△△ちゃん(うちの子が好きな子)は当たったね。だけど次は△△チャンがハズレて、〇〇が当たるかもしれない。それは分からないんだよ。だから、明日学校に行ったら、△△ちゃんに『当たって良かったね』って言ってあげなさい」
(この『当たって良かったねって言ってあげなさい』という言葉は、言うつもりはなかったけど、何となく流れで口から出てしまって、僕は自分で気に入った)
子供は何も言わない。一点を見つめたままだ。
だけど、僕には分かる。この子が「ちゃんと理解した」ことを。
だから、僕は、「ごっこ遊び」に戻った。
「今日の海は静かだなあ。潜水艦はいないのかな?どこだ、どこだ?」
子供はしばらく、その世界に入れないかのようにまじめな顔をしていたけど、すぐに、
「どかーん、ばしゅーん」とか言って、僕のボートを「攻撃」してきた。
-------
そして次の日の朝、僕は「いつものように」、学校に向かう道を途中まで一緒に歩いた。
雨上がりで、道路は濡れて、ところどころ水たまりができていた。
そして「いつものように」、子供は、「ただいま雨雲の中を飛んでいます」と飛行機の真似をして、水たまりのところに来ると、「あ、台風です」と言ってそれを避けた。
すると子供が突然、とても明るい声で、
「△△(好きな子)すげえな」と言った。
だから僕も「おっ」と思って、
「すごいよね。当たったもんね」と答える。
子供は「最初住所が呼ばれて、名字が呼ばれて、絶対△△って思ったら、やっぱりそうだった」
とうれしそうに言う。
「そうだね。今日会ったら、『よかったね』って言ってあげな。△△ちゃん、きっと喜ぶよ」
「うん」
--------
子供が本当にその子に「よかったね」と言うかどうかはどうでもいい。重要なのは、子供が自分の力で、その心の中のコンフリクト、矛盾、不運、理不尽さを乗り越えて、そして「笑顔」でそれを言葉にできるようになったことだ。
そのために、その「経験」を与えてあげるために、僕はあの場に「留まった」。
だけど、何が起きるかなんて、僕には予測も予想もできなかった。
ただ直感的に、「ゆるい好奇心」を持っていただけで、結局「つまらないまま」何も起きず、「不毛なまま」家に帰ったかもしれないし、もしかしたらまた「一等」をうちの子が引き当てて、歓喜の中で、さらなる「全能感」をうちの子は持ち続けたかもしれない。
だから、結局は「起きたこと=過去=運命」を僕は作り出すことはできなかった。
ただ、その入り口を変えたのは、僕ら親の行動であり、その判断なのだ。
そしてもう一つ重要なのは、そうやって生じた「運命」を生かすも殺すも、僕ら親が日々の生活を通じて築く、子供との「何気ない会話」をできるかできないか?なんだと思う。
そういった親子関係が築かれてなければ、それを伝達する言葉も単なる「説教」にしかならない。
「運命」を子供に伝え、納得させ、子供の身になるようにするための全ては、「日常」にかかっている。
だから僕は、毎日同じように子供と風呂に入り、毎日同じようにごっこ遊びをし、いつも同じように、雨上がりの道路にある水たまりを「台風に見立てて」歩く。
生きた言葉を伝えるために。
-------
そして最後に、僕が今回感じたもう一つ重要な出来事である、「校長先生」が言った、「子供を抱きしめてください」というあの言葉。
今回の出来事でどんなに僕が「運命」を「言葉」で子供に伝えたとしても、結局僕は子供を本当の意味で「安心させる」ことはできなかった。
スーパーの裏口で子供が地面を転がり回って泣き叫んだ時、父親の僕がどんなに「説明」しても、僕にはどうすることもできなかった。
そして子供は最後に「お母さん、、、お母さん、、、」としゃくり上げたのだ。
だから、僕は「抱き上げた」。
だけど、本当の意味で「抱きしめる」ことができるのは、ただ「母親だけ」なんだと思う。
母親の存在は言葉ではない。
だからあの「校長先生」は最後に、
「子供を抱きしめてください」と言ったのだ。
2014-02-10 12:36
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0