子育てマニュアル [育児]
何冊も子育てマニュアルを読んだ。
いつも「参考程度」と思っている。
というより、マニュアル通りにやってうまく行った試しがないし、何よりもそういったマニュアルにはだいたい落とし穴がある。
人はインターネットでも本でも、情報を探す時その中に「自分のほしいもの」を求めてしまう。
例えば「怒らない方がいい」と考えている人が子育てマニュアルを開けば、そこに「怒ることはしつけにはならない」と書いてある。
「いやいや、怒る時には怒らなきゃ、叱らなきゃ」と思っている人が見れば、同じ本の中に「親は時には自分の感情を素直に子どもに伝えることも必要」とか書いてあるだろう。
だいたいマニュアル本には、「〇〇した方がよい。なぜなら、、、」としばらくその効用について書かれた後で、「しかし行き過ぎた〇〇は時にマイナスになる」だから「時には正反対と思われる××も必要になる」とか書いてあるのだ。
一つの方法とその逆の方法を並べて書くことが許されるなら、何だって可能な気がするんだけど。
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子どもが2歳ぐらいの時だったか、朝食の時に出したものが気に入らないと「ギャーッ」と泣くことがあった。
基本的に僕は怒らないようにしてたから、そんな時はしばらく放っておく。
するとどこかのタイミングでケロッとして食べ始めたりしていたので、「まあ怒らなくてもいいか」と思っていた。
しかしさすがに「それもどうなの?」と思って「シュタイナー本」を図書館から借りて来た。
細かいことは忘れたけど、「子どもに寄り添い、子どものペースでゆっくりと一つ一つ丁寧に一緒に行動する」みたいなことが書いてあった。
基本的に共働きで忙しいから、食事は僕らが徹底的に冷ましたり、食べやすい大きさに切ったりして、子どもはすっかり準備が整ったのを「食べるだけ」みたいになってたし、出かける時はジャケットのボタンを止めてあげて靴を履かせて、そのまま抱っこして車に乗せる。寝る時も布団の中でDVD見たり絵本読んだりして、寝る直前に電気消す、みたいに、とにかく何もかもが「慌ただしかった」と思う。
「うわあ、これ全然だめだ」と改めた。
するとどうなるかと言うと、やること全てに「時間がかかる」。子どもにやらせながら、できないところは手伝いながら、何もかもゆっくりやる。
最初は良かったと思うし、そういう「子どもに合わせて行動する」という知識を身につけたことはよかったと思う。
だけど、やっぱり「ギャー」ってなる時はなる。
すると、こっちが必死に時間かけて、自分を抑え付けてやっている分、
「え?今ちゃんとゆっくりやったよね?僕せかしてないよね?何で?間違ってないよね?何で泣く?」
みたいな「不安」は増大する。
同時に、
「いやいや、ここまでやってるんだから、ここで『怒ったり』したら元の木阿弥。我慢、我慢」
と泣き叫ぶ子どもを見ながら、「じーっと」耐える。
次はうまく行くだろうと「あの時自分が手を出したのがまずかったのか?」「『こうやったらうまくいくよ』の一言が余計だったか?」とか、細かい修正を加えて再チャレンジする。
結果は同じか、別なタイミング別な状況で、また同じように「ギャー!」。
妻に思わず言ってしまった。
「、、、あのさ、これシュタイナー本に書いてある?」
-----
マニュアル本を通して僕らが情報として得る「子育て理念」みたいなものはシンプルで力強い。
本を読んで、なるほど、その通りだ、がんばってみよう、と思う。
しかしそれに比べて現実の生活や子どもが持っている気質のバリエーションなんて無限なんだと思う。
そのケースに全て対応する本なんてこの世に存在しないか、存在するとすれば地球が丸ごと一個収まるような百科全書になってしまう。
そんなのドラえもんの四次元ポケットにしか入らない。
だからその「理念」と「現実」がどんどんズレて来る。
そのズレを埋め合わせるために「さらなる努力」「我慢」を重ねる。
そして一番の問題は、その「やり方」を巡って夫婦の間にも「ズレ」が生じることだと思う。
「あの『言い方』はよくないでしょう」とか「そこはもっと我慢しなきゃ」とか「いやもうちょっと厳しくしてもいいんじゃない?」とか。
何とも言い表しようのない微妙な一言、微妙な「程度」、微妙な「さじ加減」が火種となって、二人の足並みがさらにずれる。
だいたいそういった説明しがたい「すれ違い」みたいなものはどの夫婦にもある。
人の性格や考え方を簡単に「他人が変える」なんてできないから、お互い「干渉しない」ようになる。
子どもがいなくて二人だけだったらそれでうまく回る。だけどそこにそれ以上にコントロールの効かない(またコントロールしてはいけない)「子ども」が関わってきて、共同作業しないわけには生活が回らないのだから、とにかくやるしかない。
衝突するのを無理矢理ごまかし、とにかくがんばる。
全く別なタイプの「ストレス」が重くのしかかってくる。
これは仕事のストレスとはかなり違うし、それに比べれば「仕事の方が楽」と考えてもおかしくない。
(質が違うのだから比べることは不可能なのだが)
「育児を巡るストレス」については、その全てではないにしても育児本に参考例が書いてある。
しかし「育児を巡る夫婦の間のストレス」についてどこかに書いてあるのだろうか?
世間では「育メン」とかもてはやしているが、男が育児に参加することで、問題がより悪化したケースもあるのではないか?
人はそれぞれ個別の、その家族なりの「育児のやり方」を「発明」しなきゃならないんだろう。
いつも「参考程度」と思っている。
というより、マニュアル通りにやってうまく行った試しがないし、何よりもそういったマニュアルにはだいたい落とし穴がある。
人はインターネットでも本でも、情報を探す時その中に「自分のほしいもの」を求めてしまう。
例えば「怒らない方がいい」と考えている人が子育てマニュアルを開けば、そこに「怒ることはしつけにはならない」と書いてある。
「いやいや、怒る時には怒らなきゃ、叱らなきゃ」と思っている人が見れば、同じ本の中に「親は時には自分の感情を素直に子どもに伝えることも必要」とか書いてあるだろう。
だいたいマニュアル本には、「〇〇した方がよい。なぜなら、、、」としばらくその効用について書かれた後で、「しかし行き過ぎた〇〇は時にマイナスになる」だから「時には正反対と思われる××も必要になる」とか書いてあるのだ。
一つの方法とその逆の方法を並べて書くことが許されるなら、何だって可能な気がするんだけど。
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子どもが2歳ぐらいの時だったか、朝食の時に出したものが気に入らないと「ギャーッ」と泣くことがあった。
基本的に僕は怒らないようにしてたから、そんな時はしばらく放っておく。
するとどこかのタイミングでケロッとして食べ始めたりしていたので、「まあ怒らなくてもいいか」と思っていた。
しかしさすがに「それもどうなの?」と思って「シュタイナー本」を図書館から借りて来た。
細かいことは忘れたけど、「子どもに寄り添い、子どものペースでゆっくりと一つ一つ丁寧に一緒に行動する」みたいなことが書いてあった。
基本的に共働きで忙しいから、食事は僕らが徹底的に冷ましたり、食べやすい大きさに切ったりして、子どもはすっかり準備が整ったのを「食べるだけ」みたいになってたし、出かける時はジャケットのボタンを止めてあげて靴を履かせて、そのまま抱っこして車に乗せる。寝る時も布団の中でDVD見たり絵本読んだりして、寝る直前に電気消す、みたいに、とにかく何もかもが「慌ただしかった」と思う。
「うわあ、これ全然だめだ」と改めた。
するとどうなるかと言うと、やること全てに「時間がかかる」。子どもにやらせながら、できないところは手伝いながら、何もかもゆっくりやる。
最初は良かったと思うし、そういう「子どもに合わせて行動する」という知識を身につけたことはよかったと思う。
だけど、やっぱり「ギャー」ってなる時はなる。
すると、こっちが必死に時間かけて、自分を抑え付けてやっている分、
「え?今ちゃんとゆっくりやったよね?僕せかしてないよね?何で?間違ってないよね?何で泣く?」
みたいな「不安」は増大する。
同時に、
「いやいや、ここまでやってるんだから、ここで『怒ったり』したら元の木阿弥。我慢、我慢」
と泣き叫ぶ子どもを見ながら、「じーっと」耐える。
次はうまく行くだろうと「あの時自分が手を出したのがまずかったのか?」「『こうやったらうまくいくよ』の一言が余計だったか?」とか、細かい修正を加えて再チャレンジする。
結果は同じか、別なタイミング別な状況で、また同じように「ギャー!」。
妻に思わず言ってしまった。
「、、、あのさ、これシュタイナー本に書いてある?」
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マニュアル本を通して僕らが情報として得る「子育て理念」みたいなものはシンプルで力強い。
本を読んで、なるほど、その通りだ、がんばってみよう、と思う。
しかしそれに比べて現実の生活や子どもが持っている気質のバリエーションなんて無限なんだと思う。
そのケースに全て対応する本なんてこの世に存在しないか、存在するとすれば地球が丸ごと一個収まるような百科全書になってしまう。
そんなのドラえもんの四次元ポケットにしか入らない。
だからその「理念」と「現実」がどんどんズレて来る。
そのズレを埋め合わせるために「さらなる努力」「我慢」を重ねる。
そして一番の問題は、その「やり方」を巡って夫婦の間にも「ズレ」が生じることだと思う。
「あの『言い方』はよくないでしょう」とか「そこはもっと我慢しなきゃ」とか「いやもうちょっと厳しくしてもいいんじゃない?」とか。
何とも言い表しようのない微妙な一言、微妙な「程度」、微妙な「さじ加減」が火種となって、二人の足並みがさらにずれる。
だいたいそういった説明しがたい「すれ違い」みたいなものはどの夫婦にもある。
人の性格や考え方を簡単に「他人が変える」なんてできないから、お互い「干渉しない」ようになる。
子どもがいなくて二人だけだったらそれでうまく回る。だけどそこにそれ以上にコントロールの効かない(またコントロールしてはいけない)「子ども」が関わってきて、共同作業しないわけには生活が回らないのだから、とにかくやるしかない。
衝突するのを無理矢理ごまかし、とにかくがんばる。
全く別なタイプの「ストレス」が重くのしかかってくる。
これは仕事のストレスとはかなり違うし、それに比べれば「仕事の方が楽」と考えてもおかしくない。
(質が違うのだから比べることは不可能なのだが)
「育児を巡るストレス」については、その全てではないにしても育児本に参考例が書いてある。
しかし「育児を巡る夫婦の間のストレス」についてどこかに書いてあるのだろうか?
世間では「育メン」とかもてはやしているが、男が育児に参加することで、問題がより悪化したケースもあるのではないか?
人はそれぞれ個別の、その家族なりの「育児のやり方」を「発明」しなきゃならないんだろう。
2014-10-28 08:49
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