子供に本音と建前を教える [育児]
レストランでエスニック風チキンみたいなのを食べて、お店の人が「いかがでしたか?」と聞いた。
僕らはもちろん「おいしかったです」と答えたが、子供は「おいしいようなおいしくないような」と言った。
店の人は笑顔のまま行ってしまったが、妻はその後子供に真顔で「そういうこと言っちゃだめだよ」と言った。
--------
僕はちょっと違和感を感じて「いや、そういう意味じゃないんじゃないか?」と思い、
「〇〇、この味あんまり好きじゃなかった?だけど『おいしくない』って言ったら、作ってくれた人がっかりするでしょう?だから、そういう時は言わない方がいいよ」
と言った。子供はちょっとすねた。
-----
僕は「だめ」という言葉をあまり使わないようにしているし、「だめ」と言ったら、だいたい「なんでだめなのか?」を説明する。
(『だめ!』とすぐ言うのは母親の特徴だと思う。まあそれは『子供にケガしてほしくない』とか『親のしつけがなってない子供と思われたくない』とかいろんな思いがあるのだろうが)
それで「おいしくないなんてお店の人に言っちゃダメだよ」というのは、ある意味子供には矛盾することなんだ。
まず第一に子どもは味としてたしかに「おいしいような、おいしくないような」と思ったんだと思う。
だから素直に「味の感想」を述べたのだと思う。
その場合それを「言ってはいけない」と言うならそういったマナーなり礼儀作法があるから「建前」として言ってはいけないということだと思う。
そしてそれは「自分の本心」ではなく「相手の立場に立って考えたら」という前提を必要とする。
こういう「人の身になる」という思考は子供にはなかなか難しい、というかほぼ不可能だと思う。
自分の主体もあいまいなところで「人のためを思う」などできるはずもなく、もしできるとすればそれは「パターン」として覚えるということだと思う。
つまりお店に行って味を聞かれたら「とりあえずおいしいと言えばいい」「おいしいと言っておけば怒られない」という具合に。
だけどここでもう一つ考える。
日頃「嘘を付いてはいけない」とか「本当のことを言いなさい」とか「正直に言いなさい」とか子供に言っていないだろうか?
(現実と想像の区別がついてない子供に『嘘か本当か』と追求することにはあまり意味がないのだが)
また「この料理の味どう?」「学校の授業どうだった?」「この本読んでどう思った?」とか感想を求めることもあるだろう。
そういった時には正直に「おいしくない」「つまらなかった」「楽しくなかった」と言うべきだろう。
つまりある時には「正直に言う」しある時には「正直に言ってはいけない」ということを子供は了解していなければならない。
この「ある時に」というのが曲者で、それが「状況」であり「場の空気」であり、子供がまだ持ち合わせていない主体的判断に関わっている。
親はだから「言ってはいけない」「やってはいけない」と「命令」を下すよりは、「それを言ったら他の人ががっかりするよ」とか具体的な状況を説明してあげた方がいいんだと思う。
-----
あと子どもが「おいしいようなおいしくないような」と子どもなりに自分の味覚の「微妙さ」を表現したことを僕はむしろうれしく思ったし、それは「マナーとして言ってはいけない」というのはちょっと違うと思う。
「僕クミンって苦手なんだけど、このチキンはおいしいですね」とか何とか、自分の本音を匂わせながら相手も立てるみたいな微妙な言い方をすることだってある。
実際「味を楽しむ」ってそういう相反するものがどう組み合わさっているかそのバランスの問題だと思うし、味を見極めるための「センス」を言語化するチャンスなら、それを「マナー」で閉ざすこともないと思う。
「マナーだから言わない方がいい」ってのは社会的慣習だからパターンとして身につけるのはそれほど難しくないんだ。
それを教える前に「どうしてそう感じたの?どうしたらもっとおいしくなる?どうしたらもっと好きな味になる?」と聞いた方がいいと思う。
不思議なのは、社会に出たらマナーなんてあって当然で、重宝されるのは「表現力」の方であることぐらい親にも分かっているということだ。
それでもマナーを優先して「表現の芽」を摘んでしまうのなら、その人は「子供の未来」よりもよっぽど「親の体裁」が気になるのだろう。
僕らはもちろん「おいしかったです」と答えたが、子供は「おいしいようなおいしくないような」と言った。
店の人は笑顔のまま行ってしまったが、妻はその後子供に真顔で「そういうこと言っちゃだめだよ」と言った。
--------
僕はちょっと違和感を感じて「いや、そういう意味じゃないんじゃないか?」と思い、
「〇〇、この味あんまり好きじゃなかった?だけど『おいしくない』って言ったら、作ってくれた人がっかりするでしょう?だから、そういう時は言わない方がいいよ」
と言った。子供はちょっとすねた。
-----
僕は「だめ」という言葉をあまり使わないようにしているし、「だめ」と言ったら、だいたい「なんでだめなのか?」を説明する。
(『だめ!』とすぐ言うのは母親の特徴だと思う。まあそれは『子供にケガしてほしくない』とか『親のしつけがなってない子供と思われたくない』とかいろんな思いがあるのだろうが)
それで「おいしくないなんてお店の人に言っちゃダメだよ」というのは、ある意味子供には矛盾することなんだ。
まず第一に子どもは味としてたしかに「おいしいような、おいしくないような」と思ったんだと思う。
だから素直に「味の感想」を述べたのだと思う。
その場合それを「言ってはいけない」と言うならそういったマナーなり礼儀作法があるから「建前」として言ってはいけないということだと思う。
そしてそれは「自分の本心」ではなく「相手の立場に立って考えたら」という前提を必要とする。
こういう「人の身になる」という思考は子供にはなかなか難しい、というかほぼ不可能だと思う。
自分の主体もあいまいなところで「人のためを思う」などできるはずもなく、もしできるとすればそれは「パターン」として覚えるということだと思う。
つまりお店に行って味を聞かれたら「とりあえずおいしいと言えばいい」「おいしいと言っておけば怒られない」という具合に。
だけどここでもう一つ考える。
日頃「嘘を付いてはいけない」とか「本当のことを言いなさい」とか「正直に言いなさい」とか子供に言っていないだろうか?
(現実と想像の区別がついてない子供に『嘘か本当か』と追求することにはあまり意味がないのだが)
また「この料理の味どう?」「学校の授業どうだった?」「この本読んでどう思った?」とか感想を求めることもあるだろう。
そういった時には正直に「おいしくない」「つまらなかった」「楽しくなかった」と言うべきだろう。
つまりある時には「正直に言う」しある時には「正直に言ってはいけない」ということを子供は了解していなければならない。
この「ある時に」というのが曲者で、それが「状況」であり「場の空気」であり、子供がまだ持ち合わせていない主体的判断に関わっている。
親はだから「言ってはいけない」「やってはいけない」と「命令」を下すよりは、「それを言ったら他の人ががっかりするよ」とか具体的な状況を説明してあげた方がいいんだと思う。
-----
あと子どもが「おいしいようなおいしくないような」と子どもなりに自分の味覚の「微妙さ」を表現したことを僕はむしろうれしく思ったし、それは「マナーとして言ってはいけない」というのはちょっと違うと思う。
「僕クミンって苦手なんだけど、このチキンはおいしいですね」とか何とか、自分の本音を匂わせながら相手も立てるみたいな微妙な言い方をすることだってある。
実際「味を楽しむ」ってそういう相反するものがどう組み合わさっているかそのバランスの問題だと思うし、味を見極めるための「センス」を言語化するチャンスなら、それを「マナー」で閉ざすこともないと思う。
「マナーだから言わない方がいい」ってのは社会的慣習だからパターンとして身につけるのはそれほど難しくないんだ。
それを教える前に「どうしてそう感じたの?どうしたらもっとおいしくなる?どうしたらもっと好きな味になる?」と聞いた方がいいと思う。
不思議なのは、社会に出たらマナーなんてあって当然で、重宝されるのは「表現力」の方であることぐらい親にも分かっているということだ。
それでもマナーを優先して「表現の芽」を摘んでしまうのなら、その人は「子供の未来」よりもよっぽど「親の体裁」が気になるのだろう。
コメント 0