子供を助けない人 [育児]

人生うまく行くことばかりじゃないから、たまには愚痴を言いたくなる時もある。

仕事で失敗をした。わざわざ足を運んだ店が休業日だった。雨の日に車で水をかけられた。お金を落とした。

悪いことは重なったりするから友人や家族を相手に「本当にもううんざりだよ」と嘆く。

みんな同情してくれるだろう。「それは大変だったね。まあ今日は酒でも飲んで忘れなよ」とか。

だけど「ものすごく仕事のできる人」がやって来て、

「なんでそんな失敗する?この間もやり方教えたよね?定休日なんて前もって調べるでしょう?水たまりの横ぼーっと歩いてたから水かけられたんでしょう?金なんて落とすなよー、ただの不注意でしょう?いつも言ってるよね?」

とか言って来たらどうする?

それも繰り返し繰り返し。

この「ものすごく仕事のできる人」というのが、子供に対する「親」だ。

そりゃそうだろう。親は子供の何十倍も歳とってて仕事なんてできるに決まってるのだ。

それが子供という「仕事のできない不注意で失敗ばかりしてる人」を見つけて、

ぐうの音も出ないほど「コテンパンに」やっつけるのが、いわゆる「しつけ」と呼ばれているやつだ。

自分だって同じ「仕事で失敗して不運続きの人」みたいなものだから、それなら同情して

「大変だったな。まあ気にするな。ゆっくり休みな」

とか言ってあげればいいのに、まるで「自分がやられたから誰かにやらずにはいられない」みたいに子供を標的にする。

いや、大人だったら「愚痴」を言えるからまだいい。

子供はそれがうまく言えないから「これ食べたくない!」とか別なところで発散しているのに、

それをガチで捉えて「なんだ!その言い方は!」とかやられたら、

子供は何も言えずにただただ耐え忍ぶしかなくなる。

「おまえさあ、、何回言ったら仕事できるようになる?」

と上司からグダグダ説教され続けたら鬱病になるだろう。

それと同じ気持ちに子供がなっているのがなぜ分からないのだろう?

子供は同じ人間で、大人と同じ「心」を持っているのに、「特別打たれ強い」とか「何も気にしない」とか「ぼーっとしてるだけ」とでも思っているのだろうか?

事実は全く逆で「大人以上に打たれ弱く細かい言葉のニュアンスに一喜一憂し深く考え続けている」のに。

そうやって心の根っこが形成され、それが一生の思考の土台になるというのに。

きっと親自身がそうやって説教されて育てられ、学校でも会社でも説教されて来たから、今度は家庭で「弱者」を見つけてそれに八つ当たりするのだろう。

そんなイライラした親にとって「しつけ」はただの免罪符なのだ。

子供は道に迷って途方にくれて泣いているのに、

「だから道に迷うなって言っただろう?泣けばいいってもんじゃない!」

と突き放す。

「困っている人は助けて上げなさい」とか言いながら、

「困っている我が子は助けない」

一体どこからそんな都合のいい自分中心の「ルール」が生まれてくるのだろう?

親にもし「免許」が必要なら、大抵の親が一斉に「免停」になるんじゃないだろうか?




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