体内にカリウム40という放射性物質があってそれで内部被曝してるから、ちょっとぐらいセシウム食ってもも恐くないみたいな話を聞く。

例えば、

日本原子力文化振興財団発行「エッ!こんなところに放射線」

こういうのを見ると、

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カリウム40という自然放射性物質は、ふつうのカリウムに0.0117パーセント混在している。

1日に白米300グラム、魚、牛肉、牛乳、ホウレンソウを各200グラムずつ食べると仮定すると、1日に約100ベクレルのカリウム40を食べる。

人間の体の中には自然由来の放射性カリウム40が、67ベクレル/kg、成人一人60kgの体内におよそ4000ベクレル存在していて、その体内被曝線量は、年間約0.2ミリシーベルトになる。

大気圏内核実験が行われていた1960年代中ごろでは、1人1日分の食事の中にストロンチウム90は0.5ベクレル、セシウム137は1~2ベクレルほど入っていた。

1996年の調査では1人1日分の食事の中には、ストロンチウム90とセシウム137がそれぞれ0.05および0.04ベクレルという水準だった。

人体内セシウム137の量は、1960年代には一人当たり500~600ベクレルにも達した

核実験の頻度が激減したのにしたがって、体内量も減少、一人当たり20ベクレルくらいのレベルが続いていたが、1986年チェルノブイリ事故の直後に少し上昇し、体内量が60ベクレルまで高まった

現在は、再び20ベクレルに戻っている。

現在でも私たちは、毎日セシウム137を約0.19ベクレルほど食べている。これによる被ばく線量は、年間0.9マイクロシーベルトくらい

体内にあるセシウム137のレベルが、各年代の食物に含まれるセシウム137のレベルの増減によって変わるのは、人体への吸収もよいかわりに、体外への排出も比較的早いから。

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などなど。

一体何を言いたいのか? という感じだ。

人体内に自然に存在する放射性カリウムは、大人で4000ベクレルで安定している。入ったら入った分出て行く。何百万年と時間をかけて、身体がそのように作られたということだ。

そこに人工放射性核種のセシウムが、60年代だったら500ベクレル上乗せされて、原発事故前でも20ベクレルぐらい存在していた、と言いたいのだろう。

それなら、福島原発事故で、そこにさらに「上積み」されるわけだ。

それに1ベクレルというのは放射性物質1個が1秒間に出す放射線の数だから、半減期が違えば、1ベクレルに含まれる原子核の個数も変わってくる。

セシウム137の半減期は30年で、カリウム40は12億年だから、

セシウム137は1/40000000の個数で、カリウム40と同じベクレル値になる。

1ベクレルのセシウム137の個数は、1ベクレルのカリウム40の1/40000000になる。

だから10億個のセシウム137原子は、10億個のカリウム40原子の40000000倍の放射線を出す。

放射能安全派は、放射性カリウムと放射性セシウムを「全く同じもの」として扱いたいようだが、

これは「同じ」なのか?

まあ百歩譲って、1ベクレルのセシウム137と1ベクレルのカリウム40は「同じ放射線量だ」とする。

(馬鹿げているが、『同じ放射線量だから、同じ1ベクレルで、同じ影響を身体に与えるであろう』と人間が決めただけの話だ)

ではそれでその放射性セシウムについて、ベクレル値以外も「全て」分かっているのか?

そんな量子論的な雲のような存在をつかまえて、「カリウムとセシウムは一緒だ」なんて断言できるのか?

何となく似てるし、漏れて吸い込んだセシウムどうすることもできないから、「似てるということにしよう」ってだけだろう。

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人間の身体なんて、人智を超えたところでバランスを保つ、一つの宇宙のごとき有機体じゃないか。

カリウム40が出す放射線に対しては、DNAの自己修復機能が働くとして、そこに「異物」として原子レベルで入り込んだセシウムを、その免疫系統が何事もないかのように処理するなんて、どうやって分析するのだ?

単純に「分からない」だろう。

「分からないから、何も起きないということにしよう」と言うなら、それは科学でも何でもなく、ただの「行政判断」だ。

放射能安全派というのは、国だ経済だ安全保障だとでかいことばかり言って、とにかく「人間の身体」をなめてると思う。


以下参考サイト。

カリウム40による内部被曝との比較による安全デマ

自然放射線を理解する ―私設原子力情報室

セシウム137とカリウム40 ―私設原子力情報室

放射性カリウムとその意味を考える

煙草1本の被曝量はバナナ20kg分?